まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

あなたはどんな言葉で話しますか?

わたしのかあさんのこと。
 
わたしが生まれ育ったのは仙台という街だったけど、
かあさんは標準語で話すようにわたしを厳しく躾けた。
わたしが小さかった頃は、まだ仙台にもなまりのキツい子は沢山いた。
でも、かあさんは仙台弁を「汚い言葉」と言い、
「きれいな」標準語で話すようにわたしを育てた。
わたしのとうさんは結構仙台弁のなまりがキツい人だったから、
わたしはとうさんのことを「汚い言葉で話すひと」なのだと思っていた。
 
・・・。
かあさん。
ほんとうの言葉を失ったひと。
または、ほんとうの言葉を捨てなければならなかったひと。
 
かあさんは、宮城県の県北の出身。
かあさんが中学1年だったとき、
かあさんのほんとうのかあさんは家を出されてしまい、
代わりにきれいな後妻さんがやってきた。
「おら、○○だ。」そう自己紹介したかあさんを、
「あら、いやだ。あなたみたいなお嬢さんが『おら』だなんて。」
そう言って後妻さんはバカにしたように笑ったそうだ。
「二度と言葉のことでバカにされまい。」
そう誓ったかあさんは、その日以来標準語で話すようになった。
わたしが物心ついたときから、
かあさんがずっと「きれいな」標準語で話すように厳しく言ったのには、
そんないきさつがあったのだ。
 
でも・・・。
かあさんはほんとうの言葉を捨てたときに、
一緒にたくさんの大切なものも失くしてしまったのだ。
心からの喜びも、同情も、やさしい気持ちも、
かあさんは語る術を失くしてしまった。
自分の本心を表すことばを捨ててしまったから。
だから、かあさんは「正論」しか言えなくなってしまった。
わたしがどんなに悩み、傷付き、苦しんだときにも、
かあさんの口から出るのは正論ばかり。
「そんな分かりきったことを言ってもらったってなんにもならないのよ!」
何度かあさんにそう言いたかったことか。
でも、かあさんはいつも冷たくよそよそしくて厳しいひとだったから、
そんなことはとても言えなかった。
おかあさんに甘える同級生たちを見て、
ものすごくねたましい気持ちを抱いても、
みんながやってるみたいに「おかあさん!」とかあさんに飛びつくこともできなかった。
わたしは、かあさんのことを、ぬくもりのない、
サイボーグかロボットみたいなひとだと子どもの頃から思っていたのだ。
 
かあさん・・・。
昔一度だけ見たかあさんの子どもの頃の写真が忘れられないよ。
お下げ髪で、無邪気そうに笑ってたかあさん。
純朴そうで、優しげな笑顔だった。
わたしの知ってるかあさんとどうしてもつながらなくて、
わたしは混乱したよ。
かあさんがどうしてサイボーグみたいなひとになっちゃったのか、
わたしはずーっと考えつづけてきたんだよ。
でも、やっと答えが分かった気がする。
 
あなたは、どんな言葉で話しますか?