まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

かあさんの1周忌

大安吉日を選んで、かあさんの1周忌が行われた。
仙台市内の菩提寺にねえさんちとわたしんちの家族7名、
プラスかあさんの妹2名の計9名が集まった。
去年のかあさんの告別式の日は快晴で、
葛岡の斎場の辺りは紅葉が美しかった。
葬祭会館のマイクロバスにとうさんと並んで座りながら、
「お母さん、最後に紅葉狩りが出来て喜んでるかな」なんて言ってたのに。
あの日から1年経って、「本当に大変だったよねー」と言い合い、
かあさんの死後の大変な日々の頑張りを互いに労うはずだったとうさんはもういない。
 
冷たい雨が降り、ひんやりと言うよりはぞくぞくするほど寒い本堂で、
久しぶりの喪服に身を包み坊さんと一緒に経をよんだ。
去年のかあさんの納骨の時には、
読経のあと長い説法を始めた坊さんをとうさんが途中で遮って、
「申し訳ありませんが暗くなってきましたし、天候も急変しそうな空模様ですし、
その辺でお話を切り上げていただきたい。
遠くまでお帰りになる方もいらっしゃいますから。」と言って坊さんを仰天させたんだっけ。
後で「おじいちゃんらしいや」と言って、うちの子どもたちは大笑いしてたなあ。
「あんなことして、バチが当たっちゃうんだから」ととうさんに言ったら、
「なあに、バチなんか、当たらねえ」って笑ってたのに。
たった半年後には自分もお墓に入ることになっちゃって。
とうさんの納骨の時、坊さんは仇でも討つみたいに長い長い説法をしたんだっけなあ。
 
1周忌になったら坊さんはお墓では読経してくれないものなのか、
本堂から家族だけお墓へ移動して線香を上げた。
晴れ女のかあさんらしく、その時だけは雨が上がった。
誰一人話す者もなく、しーんとしたままお参りをして、会食をする店へ移動した。
店へ移動すると、後はねえさんのワンマンショーだった。
去年、かあさんが亡くなった頃、ねえさんは会社の海外研修で
生まれて初めてニューヨークへ行っていた。
ねえさんはおばさんたち相手にニューヨークの話を延々としていた。
フェリーに乗ろうと埠頭へ向かっていたらプエルトリコ系みたいなタクシー運転手に何か言われて、
途中で下ろされ、夜10時頃女4人で街へ放り出されて死ぬかと思った~!とか、
どこそこのクラムチャウダーが名物らしく、ものすごく美味しかったとか。
いつものねえさんらしい派手なアクション付きで、華やかなオーラをまき散らして、
会食はあたかも「ねえさん・オン・ステージ」状態だった。
あとは、ねえさんちの猫の話。
前に飼ってた猫が去年の暮れに死んで、その後ネットで里親募集を見て、
野良猫だった子猫を今年2月に引き取った話。
前の猫が死んでどんなに悲しかったかとか、今度飼った猫がどんなにおとなしくて可愛いかとか。
意地悪なわたしはご飯を食べながら、心の中で
「そうだよね、だからおとうに『おとうがうちに来たせいで、
人見知りだったうちの猫の死期が早まった』って言ったんだよね。」とか、
「あなたがネットで猫の情報を集めたり、新しく来た猫にかかりきりだった時、
あたしは毎日のように仙台に通っておとうの面倒を見てたんだよ。
あなたは仕事を理由に全然面倒を見なかったじゃない?
本当の理由は猫だったの?」とか思っていた。
1周忌の会食は、故人を偲ぶためのものなのかと思っていたけれど、
ねえさんの口からかあさんの話が出ることはなく、
ニューヨークと猫の話で2時間半が経過して会食はお開きになった。
 
帰りの車の中で、ぼんやりと考えた。
かあさんは、「悪い魔女(=かあさんが中1の時にやって来た継母)」が来る前は、
一体どんな女の子だったんだろうか。
おばさんたちからその頃のかあさんの話を聞いたことって、
ただの一度もなかったなあ、と。
かあさんの妹たちも年を取って、坐骨神経痛で歩くのもやっとだったり、
糖尿病や高血圧で入退院を繰り返していたりしているそうだし・・・。
おばさんたちに手紙を出して、昔のかあさんの話を聞いてみるのもいいかもなあ。
そんなことをつらつら考えつつ、かあさんの顔を思い出してみようと思ったけれど、
やっぱり笑ってる顔は浮かんで来なかったのだった。