まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

マグロの刺身

夫婦仲良く、なんて夢のまた夢なんだろうか。
 
亡くなったとうさんは亡くなったかあさんをずっと愛していた。
かあさんが残念ながら他人を愛する能力の欠けたひとだったために、
とうさんの愛は最後まで一方通行のままだったけれど。
 
かあさんが亡くなる15年ほど前のこと。
かあさんは自転車からポン!と飛び下りてかかとを2か所骨折した。
「3か所折れれば一生歩けなくなるところでした。
2か所ですから歩けるようにはなりますが、
時間はかかりますよ」
 
かあさんが入院してしまって、とうさんは期間限定とは言え、
生まれて初めて一人暮らしになってしまった。
みるみるうちにやせ細って行くとうさん。
「お母さんはもう治らないんじゃないかと思う。
もう海外旅行に行くのも無理だろう」
実家から病院へ歩いて行きながら、
とうさんは半べそをかいた。
 
その頃わたしは転勤で東京の中野に住んでいた。
仙台までの新幹線代は正直言って大変だったけれど、
とうさんのことが心配で何度も帰った。
(かあさんはと言えば、入院中も漢字練習したりしてたのを
看護婦さんたちに「すごいわ!」と褒められ、
さらには「姥捨て山」状態だった入院先で各部屋を回っては
老人の愚痴を聞いてやり、「若いのに知恵がある」とひっぱりだこになっていた。
そんな毎日に、かつてなかったほど、イキイキしちゃってたのだ)
沈んだ雰囲気でとうさんとご飯を食べていたとき・・・。
わたしは突如として、小さかった頃かあさんから聞いた話を思い出したのだ。
「そうだ、おとう、おっかさんがね、坂病院の看護婦さんから聞いた話をしてたよ。
なんでも、マグロの赤身を食べさせると、
手術した患者さんの傷が早く治るんだって。
マグロの赤身と人間の身体と、何かが似てて治りを早くするんだってさ」
途端に、とうさんの顔がパッと輝いた。
 
次の日から、とうさんは毎日かあさんの見舞いに行く途中魚屋に寄り、
マグロの赤身のお刺身を買うようになった。
昼ご飯どきを狙って病院へ行き、かあさんに刺身を食べさせる。
自分は「不味くて我慢がならない」とかあさんが嫌がった病院食を食べて。
そうやって3か月間、毎日毎日かあさんにマグロを食べさせ続けたのだ。
 
とうさんはそういう人だった。
照れ屋さんだったけれど、賢くて本当に優しい人だった。
 
とうさんにもう一度会いたい。