まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

見納め

仙台の実家へ。
休暇に入った夫に頼み、一緒に行ってもらった。
 
玄関のドアにはクモの巣、車寄せには分厚い落ち葉。
実家にはひと目で空き家と分かる寂れた雰囲気が漂っていた。
夫と二人でクモの巣を払い、落ち葉を掃く。
「去年の秋、毎日とうさんと二人でこうやって掃除したっけ」
うつむいて黙々と落ち葉を掃きながら、涙がこぼれそうになる。
ようやく少しだけきれいになったところで、家に入った。
かあさんが毎日磨き、すべすべでピカピカだった木の床は、
ずっと閉め切っていた湿気のためギシギシと鳴った。
 
夫と手分けして、ひと部屋ひと部屋異常がないか点検して回る。
かあさんがいつもおめかししていた、鏡台のある部屋。
ステレオのある、とうさんたちの寝室。
とうさんがいつも座椅子に座り、柿の種を食べながらテレビを見ていた居間。 
真新しい洗濯機と改装したての風呂場。
2階の子供部屋。
家の中の全てが湿っぽく、そしてうっすらと埃っぽかった。 
 
この家で、とうさんたちは半世紀以上もの間暮らしていたのだ。
若かった二人が年老いて相次いで亡くなるまでの日々。
子どもの笑い声が響いた日々、楽器の音が続いた日々、
娘たちを嫁がせた日、孫の誕生に沸いた日・・・。
佳きこと、嬉しきこともあった。
それとは正反対のこともたくさんあった。
しかし、それもすべてはもう過去のこと。
主を失った家はひっそりと静まり返っている。
年明けからそう経たないうちに庭の木々も伐採され、
そう遠くないうちに建物自体も取り壊されることだろう。
 
台所のテーブルの上で実家を守っていたぽん吉を風呂敷で包んで手提げに入れ、
戸締りをして外へ出た。
庭の片隅にはちいのすけのお墓がある。
目印にとかあさんが植えた苺は、
まだ生きているのかそれとも枯れてしまったのか。
冬枯れの庭には寒椿が2本、濃いピンクの花を付けていた。
うっすらと積もった雪との見事なコントラスト。
「おい、見てみろ。いやいや、なんともきれいだなあ」
後ろ手をしながら目を細め、毎年とうさんが眺めていたことを思い出す。
せめてもの記念にと携帯のカメラで撮影した。
かあさんが丹精していた小さな庭。
あの辺りには春を待つチューリップがたくさん植えられているはず。
あの木は淡墨桜を分けた苗だと言ってたはず。
桜の根元にはクロッカスがたくさん植わってるんだったっけ。
それから、それから・・・。
 
「・・・そろそろ、行こうか」夫に促され、わたしは実家を後にしたのだった。