まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「錦鯉」というひとたち

録画しておいた、「M-1」を少しずつみている。

もちろん、結果はとうの昔に知っているけど。

 

1巡目の「錦鯉」のネタを見ながら、結構夜遅くだったのに

(そしてアパート住まいなのに)夫と大爆笑。

もう涙がボロボロ出るほど笑ってしまい、

見終えた途端に二人とも鼻をかむためにティッシュを取りに

走る始末だった。

去年の「M-1」で初めてみた時は、長谷川さんの可笑しさに

数秒でノックアウトされたっけ。

今年も長谷川さんのおかしさは突き抜けていた。

でも、それにも増して、隣にいる渡辺さんのことがとても気になった。

いつも落ち着いていて冷静そのものに見える渡辺さんが、

ネタが終盤にかかるにつれて

長谷川さんの頭を「これでもか、これでもか」と感じられるほど

パシーン!パシーン!と引っ叩いていた。

顔を真っ赤にして頭を引っ叩きながら、突っ込みの言葉を叫ぶ渡辺さんは、

他の番組で感じたことがないくらい興奮しているように見えた。

やがて、いつも通りネタは渡辺さんの

「どうも、ありがとうございました」で終わった。

そもそも、あの真面目そのものに見える地味な風貌で、

日本の挨拶の定番中の定番の言葉を

真面目そのものの口調で言い、

その言葉があんなにも可笑しく響く人が

他にいるだろうか(いや、一人もいない)。

 

上位3組に残ってからの2巡目のネタを見る前に、

「くすぶり中年の逆襲」という、「錦鯉」の本を読んでみた。

読み終えて、渡辺さんは長谷川さんのプロデューサー

だったんだ!と感激した。

長谷川さんが持っている破壊的なまでの「可笑しさ」が

「可笑しさ」として世の人々にちゃんと伝わらないまま、

売れずに年だけ取っていく可哀想な中年お笑い芸人、

というレッテルを貼られて行くのが悲しくて悔しくて、

「この人はこんなに可笑しいんだぞ!

年を取っててもバカだけど、それはお笑い芸人としては

持とうと思っても持てやしない『天賦の才』なんだからな!」

という気持ちで「錦鯉」をやっていることが

エピソードの端々から読む側に伝わってきたからだ。

7歳も年下の渡辺さんのことを長谷川さんは

「東京のお母さん」だと思っているらしい。

「遅刻しないように起きて」「ちゃんと鼻をかんで」

「歯磨きして」「服装はきちんと」…。

「女房役」という言葉はあっても、「お母さん役」はない。

芸人としての日々がきちんと成立するように、

どれだけ頑張っておられるのか…。

 

それにしても。

生きていれば、誰でも悲しいこととは

無縁でいられない訳で。

加えて、人生長くなってくると、悲しいことの度合いが

どんどん増して来る気がする。

子供の頃は「ガチャポンで欲しいものが出るまで…と

思っているうちにお小遣いを使い果たした」程度だったことが、

大抵「大切な人との永遠の別れ」になってくる。

「錦鯉」のお二人が経験した悲しいことも

「くすぶり…」に書かれていたが、それぞれ相当のものだった。

>しあわせはふしあわせをやしないとして

>はなひらく

>どんなよろこびのふかいうみにも

>ひとつぶのなみだが

>とけていないということはない

谷川俊太郎詩集「さよならは仮のことば」所収「黄金の魚」より)

 

「M-1」の1巡目。

とにかく「勝ちたい」という気持ちばかりが

前面に出て感じられた人たちもいた。

「錦鯉」も勝ちたかったと思う。

でも、渡辺さんも長谷川さんも

自分自身のため、あるいは自分たちのためだけに

勝ちたかった訳ではなかったのだ。

…これが「良く齢を重ねる」ということなんだよなあ。

それが、いい意味での「余裕」になり、

「遊び」にもなって。

だからこそ、私たちは「錦鯉」のネタを見て

心の底から安心して笑えるのだ。

 

いいおじさんたち!

これからも応援しています。