まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

受け継ぐということ

「あたしさ、結婚したら子供を産もうと思うんだ」
高1の娘が夕飯の時に突如としてそう言った。
「へえ?」真意を測りかねているわたしに娘は、
「だってさ、子供を産まなかったらさ、あたしのことなんか
死んだらみんなすぐ忘れちゃうんだよ。
子供を産めばさ、その子供がそのまた子供に
あたしのことを話してくれるじゃない?
『あんたたちのおばあちゃんはとにかく絵が好きな人だった』
とか『歌うのが大好きでよくお風呂で歌ってた』とかさ。
お墓にお参りにだって来てくれるじゃない?
・・・なんか、そういう風になりたいって思ったんだよね」
ははーん、亡くなったとうさんのことがあったからだな、と思った。
 
とうさんが亡くなって1年半ちょっと。
でも、とうさんは未だにしょっちゅう話題に上っているのだ。
連続テレビ小説「マッサン」を見ながら、
わたしは子供のころずーっととうさんがウイスキーの水割りやオンザロック
毎晩晩酌していたことを思い出してその話をしたし、
晩酌するととうさんがとても陽気になっていろいろ楽しい話をしてくれたことも、
どんな話を聞かせてもらったかも話した。
小さかった頃バドミントンやキャッチボールの相手をしてくれたことも、
一人で自転車に乗れるようにと車の少ない早朝に遠乗りに付き合ってくれたことも話した。
とうさんが元気だった頃はそういう話をすることがあまりなかったから、
娘にとってとうさんは亡くなってからの方が親しい存在になったのかもしれないくらいだ。
 
受け継ぐということは一体どういうことだろうかと近頃よく考える。
亡くなった人から「受け継ぐもの」と言えば、
目に見える形の遺産のことみたいになっているけれど。
不動産にせよ証券にせよ株券にせよ、
悪い人にだまされでもすればあっさり他人の手にわたってしまう。
地震津波、台風や水害などの天変地異によってもあっさり失われてしまうものだ。
でも、思い出や習慣、生きていく上でのポリシーなどはそうそう簡単にはなくならない。
そういうものを次の世代へと手渡していくことこそが、
真に「受け継ぐということ」ではないかと思うのだ。
 
とうさんのかあさん、平たく言えばわたしのおばあちゃんという人は、
かあさんがお嫁に来る6年以上前に亡くなっていた。
だから、わたしはおろかかあさんでさえ、おばあちゃんに会ったことは一度もない。
でも、わたしはとうさんからおばあちゃんについての話をたくさん聞いた。
生まれたときとても身体が弱かったとうさんを、
「折角生まれた惣領息子を絶対死なせはしない」と思ったおばあちゃんが、
朝から夕方暗くなってボールが見えなくなるまで外遊びに付き合い丈夫にさせたことや、
物乞いが来ると家に上がらせてご飯を食べさせ、
なにがしかのお金を渡して帰らせたこと。
とうさんがお腹を空かせた友達を連れて行くと喜んでご飯をふるまったことや、
「口八丁手八丁」の働き者、面倒見の良さでも近所で有名な人だったことなどなど。
一緒にそういう話を聞きながらかあさんはいつも、
「ふん、自分たちもろくに食べ物がなかったような貧乏人のくせして、
他人にいい顔するなんて・・・○○家の人間は『いいふりこき』だわ」って言って、
鼻にしわを寄せて嫌がっていたっけ(「いいふりこき」は関西で言う「ええかっこしい」のこと)。
 
ボランティア活動をしたい、と思ったのは、
わたしが実はちょっとお節介で他人の役に立ちたい、とずっと思っていたから。
でも、わたしが小さかった頃からかあさんは募金箱には決してお金を入れなかったし、
ボランティア活動をする人のことも
「他人の世話焼く前に自分のことをちゃんとすべきじゃないの?」と批判的な目で見ていた。
だから、まだかあさんが存命だった3年とちょっと前にボランティア活動を始めたあとも、
わたしは「自分の頭のハエも追えないような出来損ないのくせに」と思われるのではないかと、
実家ではあまりボランティア活動の話もせずにいたし、どこか後ろめたい気持ちでもいた。
それが、おととしの夏(かあさんが亡くなる3か月くらい前)、
息子の部活動の演奏会に来てくれたとうさんと話したことで気持ちが変わった。
たまたま演奏会の会場が、わたしがボランティアスタッフとして働いていた音楽ホールで、
「わたしね、ここでもボランティアしてるんだよ。
音楽がタダで聞けるし、幸せそうな顔をして帰るお客さんの顔を見るのがとても嬉しいの!」
という話をしたわたしに、とうさんは、
「あんたはそういうの(=ボランティア活動のこと)好きなんだなあ、いいことだ!どんどんやりさい」
ととても嬉しそうに言ってくれたのだ。
でも、そのあとでちょっと寂しそうに
「お母さんはそういうの、あまり好きでないから・・・」と付け加えたんだけれど。
その時のとうさんの様子を見て、わたしはなんとなく、
かあさんがおばあちゃんのことをいつも「貧乏人のくせに」とか「いいふりこきだ」とか
言ってこきおろしていたのをとうさんは内心悲しんでいたのじゃないか、と感じたのだ。
そして、わたしがお節介焼きだったり、他人の役に立つのが嬉しかったりするのは、
一度も会ったことがないおばあちゃんから受け継いだものではないか、とも。
 
青年海外協力隊に行きたい」と思っているらしい大学生の息子も、
「めんどくさい」が口癖みたいな高校生の娘も、
二人とも「誰かの役に立ちたい」、という気持ちの持ち主。
おばあちゃんからわたしが受け継いだものは、
無事次の世代にも受け継がれていくようだ。
これがおばあちゃんやとうさんが遺してくれた得難い財産なのだろう。