まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

とうさんの3回忌に

昨日はとうさんの命日だった。
2年前の昨日、午前10:56、とうさんは旅立ったのだ。
家族の誰にも看取られることなく、たった独りで。

わたしはその報せを、
郷里とこの町とを結んでいる高速バスの停留所で聞いた。
「おとうが・・・逝っちゃったって・・・。
あたしたちも・・・間に合わなかった・・・。」
電話の向こうでねえさんはグスグスと泣いていた。
わたしは、晴れ男だったとうさんにふさわしい、
抜けるような青い空を見上げながら、
「とうさんはきっと、わたしたちが悲しむ姿を見ながら
あの世に行きたくなかったんだろうな」と思った。

高速バスとタクシーを乗り継いで、
とうさんが入院していた脳神経外科に着いた。
入口の前でねえさんが待って居た。
わあわあと泣くねえさんと一緒に、
ICUのある3階に上がった。
階段を上りながら、わたしはねえさんに、
どうしても聞きたかったことを聞いた。
「おとうは、苦しまなかったのかな?」
すると、つい今しがたまでわあわあと泣いていたねえさんが、
ピタリと泣き止んで、わたしを汚らしいものでも見るような目つきで見た。
「そんなこと・・・聞ける訳ないでしょう!!!!」

前の日のお昼前。
とうさんは主治医から「回復の見込みなし」と宣告された。
主治医から話があると聞いて、
「いい話かも知れない」と浮かれていたわたしたちの希望は、
微塵に打ち砕かれた。
それまでは「意識が戻ったら外科的処置をする」と言われていたから、
わたしは毎晩寝る前に、幼稚園で習った通りのやり方で、
「とうさんの意識が戻りますように」と神に祈っていた。
でも、もう回復の見込みは全く無くなったと聞かされて、
わたしはその晩、
「とうさんが苦しまずに逝けますように。
恐怖や痛みを覚えることなく、心安らかに逝けますように」
と、心を込めて神に祈ったのだ。

かあさんが突然亡くなってからの半年間、
とうさんの日々は信じられないほどの悲しみと、
それまで無縁だった病苦による痛みや苦しみとの闘いの連続だった。
周りの人たちはみなしたり顔で、
「奥さんに先立たれると男はダメだからなあ。
お父さんも、もしかすると・・・。」
みたいなことを言うのだった。
でも、わたしは、とうさんを悲しみと絶望のどん底で死なせたくなかった。
かあさんが亡くなったあと、魂の抜けたような顔をしながら、
「もう俺は生きている意味が無くなった」
「俺も死んでしまいたい」
そんなことばかり言うとうさんに、
連日連日付き合った。
わたしが吸い取り紙みたいになって、
とうさんの心からあふれて来る悲しみを吸い取ってしまえたら、と思ったから。
それは、わたしにとっても悲しみと絶望の毎日だった。
でも、傾聴ボランティアの講座を受け、
1年以上実際にボランティアを続けていた経験がわたしを支えてくれた。
とうさんの「死にたい」「生きていたくない」に連日10時間以上付き合い、
一緒に夕飯を食べて、とうさんが風呂から上がって寝る態勢を整えたのを見届け、
実家の近所の家電量販店を30分ばかりぶらついてから、
ほとんど最終便の高速バスでアパートに戻るのが日課になった。

生来陽気な性質だったとうさんは、ゆっくりと元気を取り戻した。
それからとうさんが亡くなるまでの5ヶ月ほどの間に、
わたしはとうさんに一体何をしてあげられただろう。
美味しいものを食べさせること。
そして、いつも呑気を装ってとうさんを笑わせること。
その二つだけ、それも、ほんのちょっとだけだったような気がする。
でも、亡くなるまでのたった5ヶ月の間に、
わたしはとうさんの笑顔を沢山見たような気がするし、
「旨いなあ!」という声を沢山聞いたような気がする。

とうさんの面倒をほとんど一人で見ていて、
わたしはとうさんの人生がもってあと1年だとすぐ分かった。
でも、同じ1年なら、出来るだけ楽しく愉快に過ごさせたかった。
痛かったり苦しかったりさせずに、
安らいだ気持ちで残りの日々を送らせたかったのだ。
そのことだけに、心血を注いだ日々だったと言っていい。
客観的に見てベストな対応だったとは言い難かっただろうが、
主観で見ればわたしはベストを尽くした。
血縁者からの支援が受けられなかった分、
地域包括支援センターや高齢者相談窓口など、
いろいろな方の力を貸していただきながら出来ることを出来る限り行う日々だった。

だから、わたしはとうさんが最期に苦しまずに逝けたかどうかを、
どうしても知りたかったのだ。
そして、「良かった」と安堵したかったのだと思う。
でも、結果はねえさんからおぞましいものでも見るような目つきでねめつけられただけだった。

とうさん・・・。
前の日、最後に面会した時のまま、
まるで窓から空を眺めてるような感じで事切れていたね。
苦しまなかったと思っていいのかな?
あんなに会いたがっていたかあさんにまた会える喜びと、
かあさんを失った悲しみに終止符を打てる安堵感とで、
軽やかに旅立って行ったと思ってもいい?
亡くなってから一度も夢にも出て来ないけど、
あの世でかあさんと楽しく暮らしてるからだと思っていいんだよね?
とうさんと過ごした最後の半年間のこと、
わたしは一生宝物として大切にするね。