まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ベルツ水

右手の人差し指が手荒れで割れてしまった。
時々ヘパリンが入ったクリームを塗って寝てるんだけど、
血行があまり良くないせいか、
毎年秋が深まる頃から初夏を迎える辺りまで、
ひどい手荒れで苦しむことになっている。
 
亡くなったかあさんは手荒れしたことがなかった。
いつ見てもすべすべした手で、
ストッキングが引っかかることすら全くなかった。
 
それは、とうさんが作っていた「ベルツ水」のおかげ。
 
「ねえ、そろそろ少なくなってきたので、お願いしますね」
かあさんにそう声を掛けられるととうさんの出番。
洗面所の棚から薬品を取り出し、
ビーカーやメスシリンダーを使って「ベルツ水」の調合を始める。
「ばけがくのせんせい」をしてるってことや、
洗濯のために持ち帰って来る薬品で穴が開いた白衣のことは知っていても、
とうさんが「化学者っぽいこと」をしているのを目にする機会がなかったから、
小さかった頃のわたしはとうさんに「ベルツ水作るぞ」と声を掛けられると、
いつも興奮してとてもワクワクした。
透明な水みたいに見えるものに、
小さく割った白い錠剤みたいなものを細かくすりつぶしたものだのを入れて、
よくよく混ぜる。
最後に色を付けるんだけど、とうさんはほとんど毎回
「・・・あっ、入れすぎた。色、濃くなり過ぎてしまった」と言った。
「どうして色付けるの?そのまんまじゃダメなの?」
あんまり毎回「失敗した~」ととうさんがこぼすので、
そう尋ねたことがある。
するととうさんは「色付けると、なんだか化粧品っぽくなるだろ?だから!」
とよく分からないことを言った。
そうやって出来上がったベルツ水は時々毒々しいくらいのピンクになっていて、
かあさんは受け取って資生堂ドルックスの化粧水の空き容器に移し替えながら、
「・・・あらあ、随分とまた今回はきつい色だこと!」と呆れたように言うのだった。
 
かあさんはベルツ水の入った容器を台所のすぐ手に取れるところにいつも置いていて、
水仕事の終わったあとだのにこまめに手に付けていた。
「お母さんの手、いつもきれいだろ?俺の作ったベルツ水のおかげだぞ」
とうさんがちょっと得意そうにそう言うと、
かあさんは機嫌のいい時しかやらない笑い方、
鼻にちょっとしわを寄せて「ふふん!」と笑ってみせるのが常だった。
 
子供の頃から手荒れがひどかったわたしは、
とうさんからもかあさんからもベルツ水を勧められていた。
でも、配合されているグリセリンのせいなのだろう、
つけたあと、手がちょっとベタベタした感じになるのがわたしはどうしてもいやだった。
結婚したあと、一層手荒れがひどくなって、
指先が割れ、指紋がなくなってひどく痛むようになったわたしに、
とうさんは「ベルツ水作ってけっか?(作ってやろうか?)」と何度か言ってくれたけれど、
そのたびにわたしは「ううん、大丈夫だから」と断ってしまった。
とうさんは「そうか・・・。ベルツ水、よく効くんだけどな。」とちょっと寂しそうに言うのだった。
 
かあさんがお風呂で突然死したとき。
やっぱりかあさんの手はシミ一つなく、すべすべしてきれいだった。
亡くなる直前、お風呂に入る前にお茶の道具を洗ったあとも、
きっと長年の習慣でベルツ水をつけたのだろうと思う。
 
ベルツ水・・・。
ネットで取り寄せてみようかな。