まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ありがとう

かあさんの1周忌が近づくにつれ、
とうさんのことを思い出すことが多くなった。
 
とうさんは最後の半年間で、
わたしに「ありがとう」の大切さを教えてくれた気がする。
 
かあさんは「ありがとう」と言わないひとだった。
「あら、悪いこと」
「あら、、申し訳ないこと」
とはよく言った。
でも、「ありがとう」とは絶対に言わなかった。
だから、かあさんに何かしてあげたり、
何かお土産などをあげたりしても、
何だか「かえって気を遣わせることになったのではないか」という、
気づまりな感じが必ず残ったものだった。
そしてもう一つ、とにかくとても気難しい性格だったかあさんが、
してあげたり買ってあげたりしたものを、
実は内心あまり気に入らなかったのではないか、
という心配というか、要らないことをしてしまったのではないか、
という後悔のようなものが必ず残った。
 
とうさんは、かあさんが逝ってしまったあと、
驚くほど素直な老人(ある意味で)になった。
作っていったお料理を食べては、
「ほう・・・これ、美味いなあ。
いやいや、あんたは料理が上手だ。
わざわざ作って来てくれてありがとな。」という具合に、
ニコニコとお礼を言ってくれた。
とうさんがお風呂から上がるのを待ってわたしが帰るときには、
「気を付けて帰らいん(帰ってください)。
遠いのに、ほんとにありがとな。」
と玄関で見送ってくれた。
かあさんにはほとんど褒められたことがなく、
(と言うよりもむしろ貶されることが多く)
「ダメなヤツ扱い」だったわたしに、その「ありがとな」は何よりも嬉しい言葉だったのだ。
そして、沢山の優しい「ありがとう」を遺して、
とうさんは逝ってしまった・・・。
 
とうさん、わたしも今まではお礼のつもりで
「すいません」ばかり言ってた気がする。
でも、これからはちゃんと「ありがとう」って言えるように気を付けるね。
せっかくとうさんが「ありがとう」の大切さを
教えてくれたんだからさ。