まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ぽん吉

実家に行きたくない。
ねえさんからは、「年明けすぐから植木屋さんが入って庭木を全部伐採するから、
今のうちに実家を見ておくように」とメールが来たけれど、
用事で仙台に行っても、どうしても足が向かなくなってしまった。
 
辛すぎるから。
 
台所のいつもの席で、「旨い、旨い」とニコニコご飯を食べていたとうさん、
お気に入りの座椅子に座って柿の種をポリポリしながらテレビを見ていたとうさん、
「いつもありがとな。気を付けて帰らいん(=帰りなさい)」と見送ってくれたとうさん、
立ち上がるのも大変になり粗相をしてしまっても誰にも言わずに頑張って洗濯もしてたとうさん・・・。
何を見ても、本当に小さなもの一つにも、いちいちとうさんの姿を思い出す。
そして、あんなに頑張ってたとうさんを、
3月上旬の入院以降二度と帰宅させられなかった自分の無力さをひしひしと感じる。
 
ぽん吉は、あの家を今も守っているんだな・・・。
 
ぽん吉は、わたしが2歳半くらいだった頃に知り合いからもらった、
小さなたぬきのぬいぐるみ。
ぽん吉をもらった時のことを、わたしは今でも覚えている。
かあさんと誰かの家へ行った帰り、玄関を出たわたしたちを女の人が呼び止めた。
振り返って戻ったわたしに、女の人が「これ、どうぞ」と抱かせてくれたのがぽん吉だった。
もらった瞬間、心にレモン色の明るい光がパーッと差したように喜びが広がった。
今見ると本当に小さなぬいぐるみなんだけど、記憶の中ではひと抱えもあるみたいな状態だったから、
伝聞ではなく、本当にあの日の記憶なのだと思う。
 
その日以来、ぽん吉はわたしの無二の親友になった。
かあさんやねえさんにひどいことをされたり言われたりした日も、
布団の中でこっそりぽん吉に本当のことを話した。
ぽん吉は返事してくれることこそなかったけれど、
そこに居てくれるだけでわたしにとっては何よりの救いであったのだ。
 
年月が過ぎるにしたがって、「こんとあき」の「こん」のように、ぽん吉はだんだん古びていった。
裁縫が上手だったかあさんに頼んで、すりきれたお腹には古ストッキングを張って直してもらい、
すりきれて詰め物が見えるようになってしまったほおには触れないように気を付けた。
いつも撫でて感触を楽しんでいた茶色のビロードの身体にも触らないようにした。
いつしかぽん吉は、座布団に寝かせられている日が続くようになった。
そして、わたしは結婚するために家を出た。
・・・ぽん吉を置き去りにしたまま。
 
とうさんが亡くなったとき、近所のお年寄りが言った。
「一つの家から一年以内に二人目の死者が出た時。
昔っから、じきに三人目の死人が出ると言われててね。
そうならないようにするために、人形を棺に入れるといいと言うんだよ。」
その時、傍らにぽん吉がいた。
「ねえ、ぼくを入れてよ」という声が聞こえたようにも思ったけれど、
わたしはぽん吉を焼いてしまうのが忍びなくて、
かあさんが昔作った姉さま人形を棺に入れてしまったのだった。
 
誰もいない実家の台所で、ぽん吉は今、何を考えているのだろう。
辛いけれど、近いうち実家へ行って庭の様子を目に焼き付け、
ぽん吉を連れて来ようと思っている。