まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「死にざま」は「生きざま」

親戚に不幸があり、坊さんの法話を聞いた。
それが素晴らしい法話で、わたしは心底感激しちゃったのだった。
 
内容を忘れてしまわないように概要を記しておこうと思う。
 
科学や医療の発達はわたしたちにかつてない長寿をもたらした。
でも、それは一方で新たなる病との闘いや、死への恐怖との闘いを我々に強いることともなった。
我々は必ず死ぬ存在である。
だからこそ、「死」というものをきちんと見つめ、覚悟をもって生きることが大切である。
自分の人生の意味や意義。
そういうものをきちんと「死」を見据えつつ意識し、覚悟をもって生きることが、よい「生きざま」への道である。
よい「生きざま」の人はよい「死にざま」を見せることが出来る。
よりよく生きることが、すなわちよりよく死ぬことにつながるのである。
 
こんなお話だったと思う。
よりよく死ぬためによりよく生きる。
なんだか、わたし個人にとってはすとんと納得出来るお話だった。