まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「より良い最期」とはなんだろう?と自問してみる。

実の両親がバタバタと3年ほど前に亡くなり、
そして今は義父が認知症であっという間に衰えつつあり・・・。

「より良い最期」って一体どういう死に方なんだろう?とよく考えるようになった。

まず、誰にとっての「より良い最期」なのか、ということを考えてみる。

亡くなった本人だけで完結させていいのなら、
わたしの母の亡くなり方がベストということになるだろう。
ちょっと認知機能が怪しくなりつつあったものの、
排泄の失敗も全くないまま、主婦として家事も一応きちんとこなせるまま、
亡くなるその日に自力で美容院へ行って髪を染め、パーマも掛け、
食後のお茶の片付けもきちんとした上で入浴中に心不全で突然死。
肺に水が入ってなかったし、表情も穏やかそのものだったしで、
多分「痛い」とか「苦しい」とか感じる暇もないほど速やかな死だったのだと思う。

しかし、範囲を同居の家族にまで拡げると、
母の突然死は父の平和な日常を木っ端微塵に破壊し、
半年後に父の命を奪う原因となった。
もし母に「ああいう死に方で良かった?」と聞けたとしたら、
多分母は今でも「ピンピンコロリと死にたいと思ってた通りになって良かったわ」と言うだろう。
でも、さらに範囲を家族にまで拡げると、
父がたった半年のうちに味わった、
悲しみ、苦しみ、痛み、不安、孤独の深さや激しさを見ていた身としては、
母の亡くなり方がベストだとわたしにはとても思えない。

では、父の亡くなり方はどうだっただろう。
父自身はたった半年の間にまるで数万フィート分を急降下するような状態で、
本当に辛く恐ろしい思いをしなければならなかったことと思う。
でも、父を診たわたしの主治医は「お父さんは死にたがってますよ」とおっしゃったし、
わたしも一緒に過ごして父のそういう思いをひしひしと感じていたのも事実だったから、
あまりに急激な状態の変化に苦しんだことはあったとしても、
「死」そのものが父にとって不本意なものではなかったと思う。
(現に父は最後まで「死にたくない」とか「死ぬのが怖い」とか一度も言わなかった。
「死にたい」や「生きていたくない」なら数えきれないくらい聞いたが)
ただ、病院や施設で、父に対して配慮を欠く言動ではないか?
と思われるような接し方をされたのは残念だったが。
また、姉に心ない言葉を浴びせられたことで、
人生の最後の最後に父がひどく傷つき、
悲しまなければならなくなったのも残念なことだった。

では、父の最後の半年間を見守ることとなったわたしはどうだったか?
「父のため」のつもりで為したことが、果たして「自己満足」や、
「父の死後の言い訳」のためでは100%無かったと言い切れるだろうか?
「そんなつもりでは全くなかった」と胸を張れる自信がわたしにはない。

そう言う目で改めて見直すと、義父の元へどんな迷惑になろうとも面会しに行く義母は、
「自身や周囲への言い訳」が欲しいのかも知れない、と言う気持ちになる。
「やれるだけのことはやった」と義父の死後自分自身にも周囲にも言えるように。
それが間違っていることなのか?と自問してみても答えは出ない。
誰かが亡くなった後も、家族は生き続けて行かなければならないからだ。

父の最後の半年間は、わたしの人生に沢山のものを残してくれた。
そう言う意味で言うと、父の亡くなり方は「より良い最期」だったのではないかと、
わたしは思っているのだが・・・。

義父にとっての「より良い最期」とはどんな亡くなり方なのだろう。
施設に入ったまま、辛いことも何もかも分からなくなって、
やがて寝たきりになって亡くなるのがいいのか、
それとも然るべき時期が来たら家に戻らせ、
タバコも存分に吸わせてお酒も飲ませてやって、
束の間だけでも好きなようにさせてやるのがいいのか。
義父一人だけで完結する問題ではなく、
義母や夫、わたしにも関係して来る問題なので・・・。

義父が家族を愛したり孫を可愛がったりするような人だったのなら、
相当の無理でも喜んでするのだけれど・・・。

結論。
そもそも「より良い最期」が迎えられるかどうかは、
その人の今までの人生の全てが問われる問題である。