まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

死にざまは生きざまを痛感

義父の認知症が徐々に進んでいる。
メマリーの一日量を5mgから10㎎に増やした途端、
眠気や食欲不振などの副作用がひどくなったと義母が主治医に訴え、
結局増量することなく一日に5mg(最低量)の服用を続けていたのだが・・・。
 
義父は強い不安感を訴え、イライラするようになった。
イライラすると酒に走る。
そして酒の力を借りて被害妄想的なことを怒鳴りまくる。
「金が足りなくなった。お前が盗ったんだろう、俺がボケたのをいいことにして!」
「俺はまだまだ車の運転なんか出来たんだ!
それを寄ってたかって車を取り上げやがって!
そのショックで俺の頭はおかしくなって、こんな訳分かんない薬を飲む破目になったんだ!」
DVを受け続けること50年の義母は、
いい加減「いなす」とか「かわす」ことを覚えてもよさそうなものなのだけれど、
根っからの勇者体質であるためか義父の暴言を受けて立ってしまうのだ。
時には自ら地雷を踏みに行くと言う、暴挙に出ることもある。
義母はそうやって「あんたなんかに屈しないんだから、あたしは!」
と強い自分を誇示したがる人なのだ、困ったことに。
 
義父の認知症を機に義父母と濃密に関わるようになって、
トホホな気分になることが非常に多くなった。
義父に対してはもちろんのこと、義母に対しても。
長年高校で教鞭を取った義母は、わたしたち夫婦の忠告に全く耳を貸さない。
「唯我独尊」な女性なのである。
わたしたちの忠告をすべて却下して、いよいよ困った事態になると泣きついて来る。
事態を打開すべく次の手を提示すると、
「それはお父さんが嫌って言うから・・・」とまたしても却下するんだけどね。
 
義父母の長男である夫は義父について、
「申し訳ないけど、もう治る訳はないんだから。
寝たきりでも何でもいい、出来るだけソフトランディングで
安らかな最期をとっとと迎えてもらいたいだけだ」と言う。
わたしは父さんの面倒を見る時に、
「父さんを何とかして元気付けたい、
もう一度『やっぱり生きてて良かった』と思えるようにしてやりたい」と言うのが目標だったけど、
夫は義父に対して「俺は親父に対してそんな気持ちは全く抱けない」と
吐き捨てるように言うばかりだ。
 
夫が子供だった頃、夜中に義母が泣く声でよく目を覚ましたと言う。
義父に怒鳴られ、暴力を振るわれる姿を何度も目にしたのだと。
そのためだろう、夫は義母に泣きつかれて実家へ行き、自宅へ戻って来ると、
何とも言えずに荒んだ表情を浮かべていることが多い。
「あいつらを見てると、ガキだった頃の思い出したくもない記憶が蘇って来る。
吐き気がするような思い出がさ。
あの頃、どんな気持ちで毎日暮らしていたか、
あいつらからどんなに離れて暮らしたいと願っていたか、
そういう封印しておいたどす黒い気持ちが蘇って来て、たまらなくなるんだよ」。
 
夫が義父に対して「安らかで速やかな最期」を願っていると知ったら、
義父はきっと心の底から驚くことだろう。
頼りになって、出世してて、ご近所さんにも自慢の惣領息子がそんな極悪なことを言うなんて!と。
 
残念ながら、義父の身から出た錆なのだなあ、全て。
奥さんを殴り、子供を殴り、酒を飲んで管巻いて暴れて、
気が弱くて小心者で臆病な自分を隠すために弱い者いじめするだけして。
そういう義父の生きざまが、惨めな死にざまを招こうとしている。
叔父だったか叔母だったかの葬式で坊さんが言っていた、
「死にざまは即ち生きざまなのです。
その人の人生の生き方が問われることなのです」
という言葉は真実なのだなあ、ということを、
日々実感しているのだ。
 
わたしは、どんな最期を迎えるのだろうか。
願わくば、悲しんでくれるひとがいますように。