まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

もしかして、「ホーム・グロウン・テロ」もこんな風に?~「教授のおかしな妄想殺人」を見た~

わたしは「カイロの紫のバラ」が本当に大好きで。
他にも大好きな作品がたくさんあります。
ニューヨークを舞台に撮っていた頃のものについては。

ヨーロッパを舞台にするようになってからの作品は、
スノッブさが鼻について感じられ、ちょっと観なくなっていましたが、
ミッドナイト・イン・パリ」辺りからまたちょくちょく観るようになりました。

最新作「教授のおかしな妄想殺人」の舞台は、ニューポート。
ジャズファンの聖地、かのニューポートです。
(世界で一番有名なジャズフェスティバルが開かれる町です)。
そこにある大学に、哲学科の教授としてやって来たエイブが、
今作の主人公です。
演じているのはホアキン・フェニックス
かのリバー・フェニックス実弟のはずなんだけど・・・毎回、
「ホントに、ホントの兄弟だったの?」と言いたくなるくらい似ていません。
まあ、兄さんは若くして亡くなっていますから、
中年になった姿は誰も見てませんが・・・。
それにしても、今回のホアキンは信じられなくらいでっぷりボヨヨンなお腹をした、
やさぐれ哲学教授役です。

今作の邦題は、「詐欺じゃないか!」と言いたくなる感じ。
教授の殺人は妄想ではありません。
エイブは実際に殺人を犯します。
しかも、全編「おかしな」要素はほぼ無し。
原題は「Irrational man」、直訳すれば「分別のない男」ということになるようです。
まさしくそう、エイブは無分別な男なのです!!!
(いや、登場する主要人物はみんなある意味無分別です)。
哲学の優秀な教授なのに!!!

映画は正直言ってダラダラと冗長に感じられ、
わたしは途中で居眠りしてしまいました。
エイブは結局自分の仕掛けたワナにはまって死ぬのですが、
その死に関わる小道具だけは、思わずニヤリとさせられる上手さがあったものの・・・。
オチだけクスッとさせられた、つまらない落語みたいな感じでした。

でも、見終わった後、「ああ、つまらない映画だったな」と単純に思えないものがあり・・・。
何だか、とても恐ろしいものを見せられたような漠然とした恐怖と不安とで、
胸がザワザワしてたまらなくなったのです。
一体、どうしてなんだろう・・・?

アル中でやさぐれた中年のエイブは、若かりし頃、
世界をよりよくしようと必死で頑張っていたのです。
でも、上手く行かなかった(と本人は感じた)。
哲学はただの理論でしかなく、現実世界には何の影響力も持たない、
空しいものでしかなかった(と本人は感じた)。
そして、酒に溺れ、生に対する意欲も興味も全て失くして堕落していたのにも関わらず、
エイブを「哲学者としての明晰さ」ゆえに褒めたたえる彼の周りの世界を、
唾棄すべきものとして嫌悪していたのです。
そんなエイブが、「ミッション」を見つけた時、彼の世界が一挙に動きだし、
彼は生きる意味を見つけ、生を謳歌し始めるのですが・・・。

その「ミッション」こそが、殺人だったのです。
依頼もされていないのに、まるで「必殺仕事人」よろしく、
彼は「悪徳判事」を密かに尾行し、嬉々として殺人の計画を練り、実行に移します。
彼は世直しが出来た、世の中をよりよくする手伝いが出来たと大喜び。
真相を愛人である教え子に知られても、その考えは全く揺らぎません。
それどころか、自分の身を危うくしそうな存在となった彼女まで、
抹殺しようとするのです。

バングラデシュの事件の実行犯たちも、
インテリで富裕層の子弟という恵まれた若者たちでした。
でも、彼らはもしかするjと、自分たちには世の中をよりよく変える力がないと嘆き、
学問はそんな現実社会の問題には全く無力であると感じていたのかも知れません。
そして、そんな彼らが見つけた「ミッション」が、異教徒たちを抹殺するということだった・・・。
わたしたちが「一体全体、どうしてそんな残酷なことを、こんな笑顔の若者たちが・・・?!」
と感じるテロ行為ですが、彼ら自身はようやく生きる意味を見つけられたと感じ、
嬉々として事件の計画を練り、実行したのかも知れません。
世界中で問題となっている「ホーム・グロウン・テロ」は、
こんな風にして起こるのかもなあ、と思ったら、
この映画を見終えた後感じた恐怖と不安の原因がちょっと分かった気がしました。

今作を通してずっと流れている音楽は、
ラムゼイ・ルイス・トリオの「ジ・イン・クラウド」(群衆の中で)。
・・・ねっ、怖い映画でしょう?