まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ねえさんからの依頼を断りました


ねえさんから週末電話がありました。
血液型が同じだから、わたしの腎臓をもらいたいと。

頼まれた、という感じではありませんでした。
電話1本で腎臓をもらいたいと言っている自分の主張が
いかに正当性のあることか、を滔々と並べ立てられた感じ。
やりたいことがあるから。
自分は同じ病気の患者にとって「希望の星」だから。
PTSDになるくらいわたしのことをいじめ続けたことへの謝罪なんか、
もちろんひと言もありません。
自分がかかった難病のこと、
地元の主治医と難病研究の第一人者との確執のこと、
自分が移植手術を受ければ他にもいる患者の「希望」になれると
主治医に言われたこと・・・。
「だからお前は腎臓を提供して然るべき」という感じの
ねえさんの話を聞いているうち、
わたしは腹が立って来てたまらなくなりました。

わたしは、ハリー・ポッターに出てくる「屋敷しもべ妖精」のように
扱われて育ちました。
ねえさんにいじめられるのは、半ば運命みたいなものですから、
もう諦めがついています。
遺留分含めて遺産を全て渡したのだって、
わたしからすれば「手切れ金」のつもりだったのだから惜しくありません。
でも、かあさんを亡くしてすっかり気落ちし弱っていたとうさんに
辛く当たったのだけは、どうしても許せない。
「実の娘にあんなことを言われるなんて・・・」と言いながら、
わたしの目の前で嗚咽を漏らしたとうさんの姿が何年経っても目に焼き付き、
あの泣き声が耳から離れないままなのです。

「とうさんにした仕打ちだけは一生許せない」
そう電話でねえさんに言ったら、ねえさんは
最初は「何のことか分からない」と白を切り、
次に「あの頃からもう重い病気で
死にそうに具合が悪かった」と逃げようとしました。
うそ、うそ、うそ。
ねえさんは、少なくともとうさんの死から半年後の
かあさんの1周忌までは病気の「び」の字もなく、
ピンピンしていたのです。
そう指摘したら、「あの頃はまだそんなにひどくは
なかったけど・・・」とさらに逃げようとしたので、
「もうあなたの話はたくさん!
腎臓を提供する話はしばらく考えさせてもらい…」
まで言ったところで、ねえさんに電話を切られました。

電話のあと、いろいろ考えました。
本当のことを言うと、わたしは、腎臓ぐらいくれてやって、
「もう一生連絡して来ないで」と言おうかと思ったのです。
でも夫に止められました。
「そんなことしたって、また何かあったら
遠慮なく何でも言ってくるだろう」と。
これだけひどい目に遭わされた挙げ句、
腎臓まで取られてしまっていいのか、
一瞬感謝したとしたって、すぐまたどんなに迷惑なことだって
当然みたいな顔しながら要求して来るんだから、
ここで譲歩したり要求を呑んだりしてはいけない、そう夫は言いました。
そして、ねえさんの家に電話をして、義兄に
「本人がどう言おうと、腎臓提供は自分が認めませんから」と言ったのです。
義兄は小さな声で「はい、分かりました」とだけ答えたそうです。

ねえさんは義兄の腎臓でなくわたしのを要求した理由について
「血液型が一致していないと免疫抑制剤をたくさん使わなくてはならなくなり、
身体に負担がかかる、わたしは難病にかかってるから
負担は掛けられないと主治医に言われた」と言いました。
でも、生体腎移植の説明サイトを見ても、
そんなことはどこにも書いていないのです。
もしかして、ウソだったのか…?
兄弟姉妹から提供された腎臓は20年もつそうですから、
ねえさんは10年しかもたない義兄のではなく
わたしのを欲しがったのかも知れません。

生体腎移植のドナーになるには「自発的な意思で
腎臓の提供を申し出た近親者」という条件があるそうです。
ねえさんからの電話は半ば「強要」でした。
・・・あんまりだなあ。