まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

認知症になるということ

わたし自身が抗うつ剤離脱症状に苦しんでいた頃。
物忘れがすさまじくなり、「認知症」を疑ってMRIを撮り、認知症検査を受けたことがあった。
内緒で検査を受け、認知症の所見はないと診断されてしばらくしてから、
かかりつけの精神科のドクターに「実は・・・」と白状したときのこと。
大笑いしたあとで、ドクターは急に真面目な顔をしてこんなことを言った。
「人間の心というのは、常に自分自身を守るように働くものなんですよ。
認知症というのは、世間では忌み嫌われているけれど、考えようによっては、
これもまた、自分自身を守ろうとする心の働きと見ることも出来るんです。
だって、忘れたくても決して忘れることが出来なかった辛い思い出も何もかも、
きれいに忘れてしまえるんですからね。
ある意味、本人にとっては幸せな状態と見ることも出来るんですよ」。
でも、その時のわたしは、まだ老人ホームでのボランティアも始めていなかったし、
認知症と言えば「排泄物を壁に塗りつけたり、汚れた下着をたんすに隠したり、
ご飯を食べさせないとかお金を取ったとか言って家族を悪者扱いする妄想に取りつかれたりする、
決して後戻りすることが出来ない、廃人へ続く道」のことだと思ってたから、
ドクターの言葉の意味が良く分からないままだったのだが。
 
老人ホームでボランティアするようになって一番驚いたのは、
認知症になっていても、機嫌がよく穏やかな高齢者も少なくない、ということだった。
まあ、わたしがホームへ行くのは月にたった2回、1回に3時間程度だし、
その日状態の良くない方は個室から出て来ないから、
いうなれば「いいとこ取り」しかしてないために、大変な部分を目にしてないだけかもしれないが。
難しい話し方なら理解出来なくても、表現の方法を工夫すれば話も通じるし、
一緒に歌ったり笑ったりも出来る。
認知症になったことによって、照れとか引っ込み思案とかが消えて、
とてもフレンドリーになったり感情表現が豊かになったりする人もいることも知った。
 
そして、わたしのかあさんのこと。
かあさんは、亡くなる何年も前から「どうせもう死ぬだけなんだから」が口癖になっていた。
誕生日に何か欲しいものはない?
お休みに一緒に出掛けたいけど、行きたいところはない?
お土産何がいい?
そういうことを聞くたびに、
「何もいらない、何もしたくない、どこへも行きたくない。
だって、どうせもうすぐ死ぬだけなんだから」としか言わなくなっていた。
病気だった訳じゃない。
薬一つ飲まず、まあ数十年来の腰痛だけは続いていてマッサージへ通ってたけど、
通院の必要もなく、食事もモリモリ美味しく食べてたはずなのに、
二言目には「どうせ死ぬだけなんだから」。
わたしたちは、そんなかあさんの真意を図りかねて困惑していた。
でも、かあさんが亡くなった今、その気持ちがはっきりと分かるようになった。
かあさんは、どんどん年を取って衰えて行くことに、
さらに言えば「死」が近づいてくることに、耐え難いほどの恐怖を感じていたのだ。
でも、感情を表現することがなかったかあさんは、「怖い」と言うことが出来なかった。
人とも会わず、買い物にも行かず、家に引きこもりながら、
かあさんは死の恐怖と内心闘っていたのだろう。
それが、亡くなる1年半くらい前から、かあさんはぼんやりしてきて、
認知症」が疑われるような状態になった。
1年半の間に、ますます気難しくなってちょっとしたことで激昂するようになる時期もあったけど、
亡くなる直前には非常に穏やかな感じになっていたのだ。
あんなに頻繁に口にしていた「死ぬだけなんだから」と言うこともなくなった。
「物忘ればかりして、わたし、ボケてきちゃったのかしら」と一瞬は気にしても、そのことで悩むこともなく、
とうさんと静かに暮らして、そして、ある日突然心不全で逝ってしまった。
かあさんが亡くなったあと冷蔵庫などを見たら、賞味期限が切れた食べ物がわんさか出て来たから、
やっぱりかあさんは「認知症」になってたのだと思う。
でも、それによって、かあさんはあんなに恐れてた「老い」や「死」への恐怖を感じることなく、
心穏やかに旅立つことが出来たのだ。
認知症は、その人にとっては、ある意味幸せな状態だと言える」と言っていたドクターの言葉の意味が、
かあさんの死を通してはっきりと分かったのだった。
 
認知症になった人の周囲の人々にとって耐えがたいことは、
きっとその人が「元のその人でなくなってしまうこと」なのだろう。
でも、「元のその人でいることが、その人にとって耐えがたくなってしまった状態」だとしても、
その人に元のままのその人でいて欲しいと願うのは、
周囲の人間の残酷なエゴではないだろうか。
その人が徐々に変わっていくのなら、周囲の対応の仕方も徐々に変えて行けばいい。
高齢者が「死」という終着駅に、出来るだけ心穏やかに到着出来るように。
それが、その人の死後も生き続ける者の役目なのではないだろうか。