まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

車いすのひと

その人は車椅子に乗って、いつも大きな掃き出し窓から外を見ていました。
老人ホームのすぐ隣りにある保育園の子どもたちや、
保育園のパン給食用にパンを納めに来る福祉作業所の人たちに手を振り、
時には窓を一人で開けて作業所の人たちに親しく声を掛け、
自閉症の方の手をそっと握ったりしていました。

2週間に一度、わたしたちがボランティアしに行くのをいつも楽しみにしていて、
活動日には玄関のところで待っていてくれました。
「栗ちゃん、少しやせたんじゃない?
具合悪かったの?ちゃんとご飯食べてた?」
「栗ちゃん、この間お休みだったわねえ。
どうしちゃったのかと思って、ずっと心配してたのよ。
今日元気そうな顔見たから、安心した!」
その人はなぜかわたしのことをとても気に入ってくださり、
実の母のように(よりも?)わたしのことを心配してくださり、
毎回心からの笑顔を向けてくださり、
安堵の涙を流してくださいました。

「お茶の一つも出せないなんて、年ばっかり取っちゃって悲しいわね。
せめて一緒にご飯が食べられたらどんなにいいかしら」
「一緒にお花見に行けたらいいのに。
おにぎりだけでもいいから、お弁当持って」
45分の全体活動、30分の傾聴。
活動を終えて暇乞いするたびに、
その人はそんな風に言って寂しそうにしました。

「栗ちゃん、わたしねえ・・・」
傾聴の時間、その人はいろいろな話をしてくださいました。
ものすごく辺鄙な山あいの集落で生まれ育ったこと。
でも、山菜採りやキノコ狩りなどが嫌いで、
本を読むのが大好きな夢見がちな少女だったこと。
ひょんなことから知り合った旦那さまの仕事先に付いて行き、
大きな町にも住んで珍しいものをたくさん見たこと。
穏やかな声で、目をキラキラさせていろいろな話をしてくださるとき、
その人は85歳の少女のようでした。

「どうしよう、栗ちゃん。
娘が重い病気で、もう治らないらしいの・・・。
・・・わたしばっかり長生きして、旦那も娘も先に逝ってしまう・・・」
ポロポロ涙をこぼしながらその人がそんな話をしていたのが今年春頃のこと。
その後から、その人の認知機能はまるで坂を転げ落ちるかのような勢いで、
ガタガタと衰えて行きました。
そして、お盆休みを挟んで久しぶりにボランティアに行った今日。
その人は認知症が進んだ人に特有な顔つきをして、
昼間から居眠りをしていました。
「何だか何も思い出せなくなったの・・・。
もう歌も歌えない、声が出づらくなっちゃって・・・」
聞き取りづらい小さな声でそんな風に言い、
「わたし、とてもお腹が空いちゃったわ。
ご飯、まだかしら・・・」
献立表を見て、今日のお昼のメニュウを伝えると、
その人はぼんやりとした笑顔を今日初めて浮かべました。

「長生きなんかしたって幸せかどうか・・・。
旦那さんがね、ホントにいい人だったのよ。
二人で『ここに住もう』って決めて家を建ててね。
ホントに幸せだったのよ、わたしたち。
でも、旦那さんが先に死んでしまったから・・・」
何度も何度も聞いた話。
旦那さまに先立たれ、今度は娘さんまでが。

認知症、と聞くと皆さん悪いイメージばかりみたいですがね。
一概にそうとばかりは言えないと思うんですよ、お年寄りを見てると。
だってそうでしょう、一生かかっても忘れることが出来なかった辛い思い出も、
きれいさっぱり忘れてしまえるんですからね。
忘れた本人は案外幸せだったりするのかもしれないと思うんですよ」
わたしの主治医だった、精神科のドクターが言っていたこと。
多分、そのとおりなのだと思います。

優しい優しい85歳の少女が受け止めるには大きすぎる悲しみを、
誰かが忘れさせてくれたのでしょう。
多分・・・いや、きっと。