まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

自分を大切にしようと思います

ねえさんから来たメールについて、
夫や子供たち、仕事の上司の女性に話しました。

全員から「面倒見るのは止めるべき」
と止められました。
「せっかく『うつ病』も良くなったのに、
みすみす再発するために面倒見るようなものだ」と。

わたしがハッとしたのは、
「第一どの面下げてあなたに『面倒見てくれ』なんて
頼んで来るのか。
非常識にも程がある」という夫の言葉。
同じ意味のことを上司にも言われました。
でも、二人から言われるまで、
わたしにはねえさんがメールを寄こしたことが
当然のこととしか感じられていなかったのです。
いつも踏みつけにされ、馬鹿にされ、
命令されるだけの人生でしたから。
無理な要求にも「拒否する」という選択肢はない、
と小さい頃から刷り込まれてしまっていたのです。

でも、今回分かりました。
「拒否する」という選択肢はあるのです。
そして多分今までもあったけれど、
わたしが自分で棄ててしまっていたのです。
それほどまでに、
ねえさんから受けた暴力の記憶が恐ろしかった。
わたしを貶め、辱め、生きている価値がない人間だと嘲笑した、
ねえさんの言葉が繰り返しえぐり続けた心の傷が痛かった。
だからこそ、拒否したらまたあんな目に遭うかもと、
無意識のうちに「拒否」という選択肢を棄てていたのです。

「栗ちゃん、もう十分。
もうおねえさんのせいで不幸にならなくていいの。
『いやだ』と言えないのなら、お義母さんをダシにしなさい。
お義父さんが亡くなったばかりなんだし、
お義母さんの面倒を見なくちゃならないから、と言えば、
世間的に十分すぎる理由になる。
お義父さんのためにずっと頑張ったんだもの、お義母さんだって、
亡くなったお義父さんだって、そんなウソくらい許してくださるでしょう」
そう上司に言われました。

そうか・・わたし、もう十分なんだ。
わたしが完全に壊れてしまうまで、
ねえさんのために頑張ったりしなくても許されるんだ、
拒否したって「人でなし」と言われたりしないんだ・・・。
それがようやく分かりました。

ねえさんには手紙とお見舞いを送って
おしまいにするつもりです。
亡くなった父も、「それでいいよ」と言ってくれるんじゃないかな。
そんな風に思います。