まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

面会を控えるよう言われた訳は・・・。

義父が老人ホームに移って10日経った。
その間、義母は暇さえあればせっせとホームに通っていたらしいのだが。
 
「落ち着くまで暫くの間面会を控えて欲しい」とホーム側から要請があった。
見当識(自分がどこにいるか、何者であるかなどをきちんと理解できる能力のこと)が
相当落ちている義父は、しょっちゅう面会に来る義母のことを、
自分と一緒に「知らない人がいっぱいのどこか分からない場所(=ホームのこと)」で
暮らしていると思ってしまっているらしい。
義母が帰ったあと、「うちのかあちゃんがいなくなった」と言い、
ずっと義母のことを探してホームをウロウロしているそうなのだ。
「今日はかあちゃんと一緒に家に帰るから」と言って、
毎日ありったけの荷物をひとまとめにしてグチャグチャと荷造りする。
洗濯済みの物も洗濯待ちのものもお構いなしにひとまとめにするので、
どれがきれいでどれが汚れているのか分からなくなってしまい、
風呂の後着替えさせるのにも職員さんがひと苦労しているようだ。
そういう事実を告げても義母は、
「それは今日たまたま調子が良くなかったからでしょう」などと言って、
義父の認知症がどんどん進んでしまっていることすら否定しようとしているらしい。
「お義母さんが、お義父さんが認知症であるという事実を認めて受け入れられるようになるのを、
焦らずゆっくりお待ちしたいと思っています」
職員さんはそう言っていた。
 
ユニ○ロからスウェットの上下を買ってホームに届けて欲しいと頼まれたので、
お昼どきのホームへ行った。
義父に見つからないように(わたしのことは大分前から分からなくなってるけど念のため)
気を付けながら食事の様子を観察する。
3人の方々と一緒のテーブルについた義父は言葉を交わすこともなく、
ただ淡々と食事を摂り、ほんの10分足らずで普通食を完食した。
満足げな表情が浮かぶこともなく、ただ無表情なままで。
「一緒のテーブルの方と話をしたりはしないですか?」
そう職員さんに尋ねると、
「例えば誰かと話をしたとしても、お義父さまは一体誰と何を話したか、
すぐ忘れてしまうんです。話をしたということすら、席を立てばすぐ忘れます。
そういう状態ではとても他の人たちと継続的な関係を作ったり出来ません。
それが認知症なんです。
ですから、わたしたち職員が話しかけたり働きかけたりして、
部屋に引きこもりっぱなしになったり沈黙しっぱなしになったりしないように気を付けているんです。」
 
義母はホームに義父を入れたあと、ちょくちょく自分の暇な時に連れ出して、
一緒に食事したりどこかへ出掛けたりするつもりだったようだが、
職員さんから「目をちょっとでも離したら、すぐどこかへ行ってしまいますよ」と注意されたらしい。
ホームにいる間も「一番心配なのは『リセツ』(多分『離設』と書くのだろう。
勝手に施設を出て行ってしまうことのようだ)ですから、全職員にお義父さまの顔写真を配布して、
『リセツ』を全職員体制で防ぐよう周知したところです」ということだった。
その話を義母にしたら、
「あははははは、まるで指名手配犯だな、それは」と大笑いするだけで、
ことの深刻さはちっとも分かっていない様子だった。
 
それにしても、義父の認知症は進行が相当速い。
身体だけは丈夫なまま、認知機能だけがどんどん失われて行く。
若い頃からずっと酒浸りだったこと、ヘビースモーカーだったこと、
食事をろくに摂らずに浴びるほど酒ばかり飲んでいたこと、
クヨクヨする性格で物事を常に悲観的に考えていたこと、
世間が自分をきちんと評価せず冷や飯を食わされていると恨んでいたこと・・・。
思い当たる節はたくさんあるが、その中の一体何が良くなかったんだろうか。