まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

職員さんと精神科へ

(義父の状態の変化を忘れないようにするため、割合詳しく描写しております。
ご家族に認知症の方がいらっしゃる場合など、読んで辛くなる方はお気を付けください。)


2か月に一度の義父の通院日。
夫がこの春内部異動になり、ますます多忙な部署に配属になったため、
時間休をもらって付き添うことが出来なくなった。
帰宅願望の塊みたいな義父のことを考えて、
担当職員さんに付き添いをお願いする。
9時からの診察開始に備えて、
8時前に診察券を出しに行く。
今日は割合混んでいて、12番目だった。

時間を見計らって老人ホームへ迎えに行く。
一か月ぶりに見る義父は、ますます表情が虚ろになり、
足元も少しおぼつかなくなった感じだった。
義母が買って届けたという外履きを履かせる。
「これ・・・俺のじゃない。」
混乱した様子の義父を「新しい靴だからですよ」と安心させ、
履かせてみると・・・明らかにきつい。
新しいのを買ったのなら、値札を取る前に一度職員さんに頼んで履かせてもらって、
きついなら交換してもらえば良かったののだが、
義母は昔から大雑把でやることが一々雑な人だから・・・。
「足、痛いみたいだ」と言う義父に、
「車でお送りしますから、そんなに歩く必要もないですよ。
少しだけ、我慢してくださいね」と再びニッコリ

義父が住んでいるユニットの責任者であるMさんは、
「あんまり笑い上戸なので『ちょっとおかしいんじゃないの?』って言われる」
ほど明るくて朗らかな女性だ。
そのMさんと車内でいろいろおしゃべりする。
義父は話に付いていけないためか、窓の外をキョロキョロ。
「・・・北のほうへ向かってるのか?」
という義父のつぶやきをちゃんと拾って、
「コウセイさん、スゴイですね、ちゃんとどこだか分かってるんですからね~」
と褒めてくださるMさん。
「お義父さん、よかったですね、担当の職員さんがMさんで。
Mさんと一緒に一日中笑ってたら、病気にも負けなくなるし、
頭の働きもすごくよくなりますよ、きっと」
「そうか~?」と答えた義父だが、格別嬉しそうな色も見られず、
ただ反射的に答えただけのように思われた。

病院に着いて順番を待つ。
義父は何度も通院している上に、昨年秋から冬にかけて2か月ほど入院していたこともあるのに、
落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見回している。
「ここに、入院なさってたこともあるんですよ」と言うと、
「ああ、じいちゃんがか?じいちゃん、ここに入ってたんだっけ?」と言い、
「道理で、何だか見たことあったみたいだ、と思ったわけだな」と満足そうな顔をした。
(義理の祖父は8年ほど前に亡くなっている)

担当のK先生に呼ばれて診察室へ。
先に立って「こちらです」とドアを開けたのに、
義父は勝手に隣の処置室から通り抜けしてしまい、
中で採血されていた患者さんをびっくりさせてしまった。
「こんにちは、コウセイさん。久しぶりですね」と言うK先生に、
「はあ~」と困惑した様子の義父。
「私はね、何度もコウセイさんのことを診てるんですよ」
「はあ、そうなんですか」。
K先生は、眠れてますか、ご飯は美味しく食べてますか、などいろいろ質問したが、
義父はよそ行きの笑顔をぎこちなく浮かべて全部に「はい」「はい」と答えた。
「物忘れはどうですか?物忘れで困ったりしていませんか?」
「はあ、ちょっと忘れることもありますが、特に困るようなほどではないです」
と答える義父。(←えっ?)
全部の質問を「はい」と「困ってることはありません」でやっつけた義父が、
隣の席で安堵したのがはっきりと分かった。
「そうですか。ところで・・・今朝は何を食べましたか?」
「はい」では誤魔化せない質問が来た。
「・・・何って・・・普通のごはんです」
「普通ってどんなものですか?」
「ご飯と・・・普通のみそ汁・・・です」
「みそ汁の実は何でしたか?」
「えーと・・・実は・・・この頃汁だけで・・・実は特に・・・。
汁だけちょっと吸ったので実が何だかは・・・分からないですね」
「おかずは何でしたか?」
「ご飯とみそ汁だけでした」
「そうですか」と答えてK先生はカルテをめくって何か探すフリをした。
「コウセイさんは昭和何年生まれでしたかね?」
「えーと・・・昭和・・・じゅう・・・じゅう・・・14年だったと思います」(←正解)
「昭和14年生まれね。ところで、生まれたのは何月何日でしたかね?」
「あ~、3月・・・15日か16日だったかと・・・」
「3日。3月3日生まれですね。では、今何歳になりましたか?」
「えーと、何歳だったかなあ・・・80・・・いくつだっけか?」
と言いながら、義父はわたしの方を向いた。
「コウセイさん、もう誕生日過ぎましたから、76、76歳ですよ」
K先生はそう言い、カルテから義父に目を移した。
「あんまり物忘れで困ることはないと、さっきコウセイさん、そうおっしゃいましたけどね、
実はこれだけ物忘れしてしまってるんですよ」
「はあ~・・・」元々小作りな体躯の義父がますます小さくなった。
「今日もお薬出して置きますからね、物忘れが良くなるようにちゃんと飲みましょう。」

それからK先生とMさんとの間でやりとりがあった。
暴言が見られる、と言うMさんに対してK先生は
「コウセイさんは学校の先生を長年務めた人だから、それなりのプライドがあります。
職員側が少しへりくだるような態度で接するように気を付ければ、
少し問題行動が減るかもしれませんね」と言った。
(へりくだる、どころか全面対決姿勢を取ってた義母に義父がDVしまくっていたのは、
多分「自分をうやうやしく扱わない」ことへの不満もあったのだろう。
義父が「うやうやしく扱われる」のにふさわしい人物かどうかは極めて疑わしいのだが)
そして、不穏時の頓服として処方しているリスペリドンを、
「ぎりぎりまで服用させずに様子を見ています」と言うMさんに対して、
「低用量だから、そんなに気にすることはないと思います。
かえって、予防的に使ったりする方が、不穏を長引かせずに済むだろうし、
本人にとってもいいのでは?と思いますよ」



帰りの車の中で、1月と3月の通院時は「家に帰ったら何をするか」を
饒舌に語り続けた義父だったのだが、
今日は言葉数も少なく静かだった。
老人ホームの駐車場へ着くと「俺はここで待ってる」
通院でお疲れでしょう、お茶を飲んで休みましょう、とMさんに促されても、
頑なにイヤイヤをする義父。
外からドアを開けて(チャイルドロックしてあるので、義父が乗った側のドアは中から開かないのだ)、
「わたしも一緒に行きますから。お義父さんをここに一人で残す訳には行かないんですよ」
と言うと、渋々降りたが、足元がふらついた。
Mさんとわたしとに両腕を持たれて、重心を後ろに掛けながらノロノロと歩く義父。
誰かがこの様子を見ていたら、まるで「連行しているようだ」と思ったことだろう。
玄関に入っても義父は靴の脱ぎ履き用に置いてある椅子に腰かけて、
「俺はここで待ってる。荷物を取って来てください」。
「コウセイさんにも持ってもらわないと持ちきれませんから、来てください」
Mさんの言葉に義父も嫌々エレベーターに乗った。

いつもご飯を食べたり体操したりしている共用スペースで、義父と二人お茶を飲んだ。
義父は落ち着かなそうにキョロキョロして、
「じいちゃんが入院してたの、ここだっけか?」
「いえ、ここはお義父さんが入院してるところですよ。
もうしばらく、ここでお薬飲んで治療しなくてはならないんですって」と答えると、
義父は何も反応しなかったが、目はすでに不穏の色に変わっていた。

持ち帰る荷物を用意し終えたMさんが迎えに来た。
立ち上がって一緒に帰ろうとする義父にMさんは、
「お嫁さんに、ちょっと手伝ってもらいたいことがあるので。
コウセイさんは、ここにいてくださいね」とニッコリした。
玄関まで見送りに来てくれたMさんに、
「目の色がもう変わってしまってました。
早めにリスペリドンを飲ませてください」と頼んで帰って来た。

次回は7月8日。
その時、義父はどんな状態になっているのだろうか。