まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「生きたい」という気持ちが無くなってしまった義父

高校生の娘は今、トールキンのファンタジーに夢中で。
シルマリルの物語」を中古で買ってウンウン言いながら読んでおります。

トールキンのファンタジーに登場する「エルフ」は不老不死の種族なのですが、
決して死なない訳ではありません。
死因は大きく分けて二つ、
「肉体の損壊」と「生きることへの倦怠」です。
「あははは、ファンタジーだなあ」とはじめは思ったのですが・・・。

実は人も生きたいという気持ちがなくなる(=生きることへの倦怠)と、
死んでしまうような気がします。
病気になった時、「きっと治る」とか「治りたい」という気持ちがゼロになってしまったなら、
どんな特効薬を飲んでも効かないように思います。
周りの人がどんなに「治って欲しい」と望んでも本人にその気がなくなってしまったら、
もう打つ手が無くなってしまう、と言ったらいいか。
いくら周りの人が「生き続けろ」と笛を吹いても、
本人に踊る気がなければ、もうどうしようもないのです。
(それは、わたしの母と父の最期から感じたことです)

このところ、老人ホームに面会に行くたび、
義父は真っ昼間から暗い部屋のベッドで横になって眠っております。
テレビを見る気もなく、誰かと話をする気もなく、歌などの活動に参加する気もなく、
食事も食べたり食べなかったり。
「生きたい」という気持ちがすっかり萎えてしまったように感じられます。
2週間に1度、家族で唯一面会に行っても大丈夫と言われているわたしは、
せめてほんの一瞬だけでも「美味しい」と感じられるようにと、
毎回プリンとかクッキーとかココアとか、
手を変え品を変え差し入れしてはいるのですが・・・。
それ以上に出来ることが見つからずに焦っております。

7月初頭までは「少しずつ体重が増えてます」と言われていた義父は、
このところどんどん痩せて来ております。
このままだと、今度の冬を越せないかも知れません。
でも、義母は実家をすっかりリフォームしてしまいましたから、
どんなに帰りたがっても義父を家に戻すことはもう出来ません。
「リフォーム」を理解出来なくなってしまった義父は、
「家に帰らなければ」と思って実家から出て徘徊してしまうでしょう。
または、「見覚えがないところへ来た」と不穏が凄まじくなるか、
一気に認知症がひどくなるでしょう。

義父が心穏やかに最期を迎えられるようにするには、
そして、義父の死後義母と夫との間に遺恨が残らないようにするには、
一体どうするのが最善の方法なのだろうと、
わたしは一人煩悶しているのです。