まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「オヤジがどうなっても俺は仕方ないと思ってる」と夫は言った

(「認知症」書庫内の今月分の記事をまずお読みください)

主治医から「月2回の面会は可」とお墨付きをもらった義母。
もう誰も義母を止められない。
認知症の人は決して「全て訳が分からなくなった人」ではない上に、
認知の仕方自体が歪んでしまっているため
(義父の場合は被害妄想的な認知の仕方に極端に偏っている)、
それを刺激しないようにしつつ、
安心感を与えられるような接し方をしなければならないのだが、
義母はそういう配慮をしようと言う気がそもそも全くないのである。
「50年以上も連れ添った自分以上に、
誰があの人のことをよく分かってると言うのか」という考えなので、
病院の看護師さんや施設の職員さん、
下手をすると主治医の話すらも「お前たちに何が分かる」と退けてしまうのだ。

そして、全て自分のしたいようにする。
「そんなことではダメだ」
「そんなことしてるとますますひどくなる」
「だから良くならないんだ」
義母本人は叱咤激励して治そうと思っているのかもしれないが、
そういう発言が被害妄想的色彩の強い義父をいたずらに刺激するだけでなく、
細かいことは忘れてしまっても
「ダメ」「ひどくなる」「良くならない」という
ネガティブな言葉だけが義父の心に強く残ってしまって
義母が帰ったあと「不穏」が毎回ひどくなってしまう。
(義父の「不穏」があまりにも激しくなって危険だったため、
病院でも施設でも義母の面会が制限されていたのだ)

でも、もう義母を誰も止められないから。
主治医は「お嫁さんと一緒に面会でもいいですよ」と言ったのだけれど、
義母はわたしと一緒に行く気は端から無い訳で。

義母には「面会に行く日を予め施設に知らせること」と、
「月に2回というペースを厳守すること」は守るよう夫が話してある
(仮にその約束を破って面会しようとした場合は、
断ってくれるよう施設側にお願いした)。
義母の面会の前に、リスペリドンという向精神薬を服用させてもらい、
不穏になるのを出来るだけ抑えさせるためである。
頓服の形で処方されているリスペリドンを、
最大1日に4回まで服用させていい、と主治医は言っていた。
義母の面会が始まったら、必要に応じてリスペリドンを躊躇なく最大量まで服用させてくれるよう、
ケアマネさんに話して来る予定だ。
その薬を服用すると、
寿命が相当短くなるという研究結果が出ているらしく、
ケアマネさんは今まで出来るだけ服用させずに済むよう力を尽くしてくださっていたのだが・・・。
でも、義母が「妻としての自分の体面」を維持し、
共依存」関係にある自身を満足させるためには、
もうそんなことは言っていられなくなるだろう。

「俺は、もう全部仕方がないと思ってる。
あのババアには言うだけのことは言った。
聞く耳持たないのはいつものことだ。
好き勝手するのもいつものこと。
それでオヤジが仮に死ぬことになったとしても、
俺はもう仕方がないことだと思ってる。」
アパートの台所、わたしの向かい側の席で夫は暗い目をしてそう言った。
そして、
「俺もあいつらも心のどこか大切な部分が欠けてしまってる。
俺はそう思ってるよ」
と付け加えた。
息子が小さかった頃、ブチ切れたようになって息子を怒鳴りつけ、
暴力を振るっていた夫の恐ろしい姿を忘れられないでいるわたしは、
その言葉を否定することが出来なかったのだった。