まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「ドキュメンタリー」の落とし穴~「憎しみはいかにして増幅されたのか」(NHK)をみた~

戦後70年ということで放送された番組を、
今頃になって少しずつ見ています。
溜まっちゃったし、別に見ずに消しちゃってもいいかな?と思いかけたけど、
今だからこそ見ておかなければならないような気持ちになったので。

昨夜は夫が寝てしまってから
「憎しみはいかにして増幅されたのか」を見ました。
太平洋戦争におけるプロパガンダに利用された、
ドキュメンタリーフィルムについて扱った番組で、
「真実とは何か?」ということを考えさせられる内容でした。

わたしたちは、ともすると
ドキュメンタリー=ノンフィクション=真実、
と短絡的に考えてしまいがちで、
目の前に提示されたものこそが真実なのだと思いがちですが、
そこには必ず製作者の意図があるわけで。
映像、紙媒体、音声など形は違えど、
わたしたちのもとに届けられるものは常に、最良の場合でも
「恣意的に取捨選択された事実の一部分」でしかないのです。
送り手が受け手をどう「操作」したいか、
その意図に沿って都合よく切り貼りされたものでしかない、
それが「ドキュメンタリー」の真実なのですね。

実は、わたしも先日地元のテレビにちょっとだけ出たのですが・・・。
「えっ、そこ使うの?それで、あそこはカットしちゃったの?」
と思わなかったと言えばウソになります。
ほんのちょっとしたコメントでしたけど、
「あそこがあるのと無いのとでは、意味が変わって来るのにな」
と思って本人は相当凹みました。
まあ、別に大したことじゃなかったからいいんですけどね。

でも、戦時のプロパガンダとなれば「大したこと」です。
この番組を見て、「人心を操作するなんて、実にたやすいことなんだな」
と空恐ろしい気持ちになりました。
わたしたちは、簡単に踊らされる大衆に成り下がってはいけないです。
踊らされ、痛い目に遭わされるのは、常にわたしたちだから。
そして、本当にひどい目に遭わされるのは、常に若い世代だからです。
プロパガンダ映画には使われなかったフィルムに映っていたのは、
日米問わず、むくろとなって転がる兵士たちの姿であり、
サイパン島で並べられていた女性や幼い子どもの遺体であり、
戦場の狂気に耐えられなくなって発狂してしまった米兵の姿でした。
「国民の戦意を喪失させる」とお蔵入りとなったフィルムに映っていたものこそが、
戦争の真の悲惨さを伝えるものだったのです。

今、日本は大きな転換点にさしかかっています。
メディアで伝えられるもののすべてが、実は
「恣意的に取捨選択された事実の一部分を意図に沿って切り貼りしたもの」でしかないのだ、
という意識を、わたしたちは決して失ってはならないと思います。