まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

行き過ぎだよ・・・ため息。

従兄弟の中に警察で働いてる者がおりまして。
お彼岸にうちの社宅へ寄ったのでちょこっと話を聞いたのですが・・・。

日本の社会は病んでおりますな、相当。
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」って言葉がありますが、
それを思い出しましたよ。

「小学生の娘が公園で遊んでいたら、
知らない女の人が手を振ってきて、
怖くなって逃げ帰って来たんです!
不審者だから調べてください!」って110番が来たんだって。
それで、一応調べたら、その女の人は公園の近所に住んでる人で、
「子どもが大好きなのに子どもが居ないので、
公園で楽しそうに遊んでいるところを眺めるのが好きで・・・。
たまたまその中の子と目が合ったので手を振っただけですが・・・。」
って言われたんだってさ。
それでも、不審者として通報まであったわけだから、
「最近は親御さんもとても神経質になっているので・・・」って
一応言わなくちゃならなかったんだって。

その女の人、もう二度と以前と同じ気持で公園に行けなくなっちゃったよね、きっと。
今までは、子どもがいない寂しさを少しは紛らわせることが出来てたのに。

その他にも、
「子どもが夕方帰って来ようとしてたら、
『乗っていけ』と声を掛けて来た、軽トラに乗った不審な男がいた」
って110番があったから調べてみたら、
実は小さな集落の中のご近所のおじいさんで、
「知った顔だったから乗せてやろうと思った」って話だったり、
さっきみたいに「目が合ったら手を振ってきた不審者がいた」やら、
「道を尋ねて来た不審者がいた」やら、
「おいおい、道の向こうから手を振って来たり、道を尋ねたりしてきたら、
全部不審者だと思ってるのか?!」
って言いたくなっちゃうような有様なんだってさ。

それはね、子どもを育ててると、ドキリとするようなことに遭遇する可能性はありますよ。
でも、何でも「危ない」「怪しい」と言って排除することがいいことなのかな。
「抗菌」「除菌」が蔓延した結果、アレルギー疾患が激増した、
みたいなことが、子どもたちの精神面でも起こりやしないかな。
「危ない、危ない」と言って過保護にしてると、
自分では何一つ出来ないような、耐性の全くない人間に育ってしまうんじゃないかな。

目の前でパクパクお饅頭食べながらお茶を飲んでる従兄弟の顔を見ながら、
「行き過ぎだよ・・・」とため息をついてしまったのでした。