まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「知らんやろ」と「心の動かない不幸」と。

たまたまつけたEテレの「ハートネットTV」で、
今年のハート展の入選作「知らんやろ」が紹介されていた。
わたしは終わりの方だけしか見られなかったけれど、
重い障害がある17歳の少女千春さんが書いた、
「知らんやろ」という詩に感銘を受けた。
千春さんは(多分)手足を動かすことは出来ない。
パソコンはわずかな顔の動きで操作していたし、
直筆の手紙は口にペンをくわえて書いていた。
移動は電動車イスでしていたし、
その操作もまた口を使って行っていた。

「一人では何も出来ないくらい身体がとても不自由なひと」
わたしはVTRを見て千春さんのことをそう思った。
だから千春さんの書いた「知らんやろ」に衝撃を受けた。

知らんやろ  (田邉 千春作)

知らんやろ
うち歩いとるんやで 走っとるんやで
知らんやろ
いっつも全力で踊っとるんやで
知らんやろ
ムカついたとき めっちゃ暴れとるんやで
知らんやろ
めっちゃムギューってハグしとるんやで
みんな 知らんやろ

千春さんのご家族でさえ、
「千春がこんなことを思ってたなんて・・・」と驚いていた。
たった一人、千春さんを一番身近で支えておられるお母さんだけは、
「ははは、って笑っちゃった」とコメントなさってたけど。

そう言えば。
今日の毎日新聞の「余録」
朝日新聞で言うと「天声人語」にあたるコラム欄)に書いてあったこと。
東京大学の学生が自主的に企画運営している「障害者のリアルに迫るゼミ」で、
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性を6月末に招いた時のことが取り上げられていた。
ALSの患者である57歳の男性岡部さん。
ALSとは、発症後3~5年で自力呼吸が出来なくなり、
生命維持のために人工呼吸器を着けるなど多額の費用と常時介護が必要になる難病。
(人工呼吸器が着けられず亡くなる人が7割にも及ぶと言う)
「本気で死のうと思ったが、その時はもう身体が動かなくなっており、
自分で死ぬことも出来なかった」という岡部さんだが、
人工呼吸器を着けて明るく生きている先輩を見て考えが変わり、
今は月の半分は外出する生活を送っていると言う。
その「外出」もシドニーでの国際会議へ行き、日帰りで札幌へ行き、
ロックバンドと記念撮影し、「アイス・バケット・チャレンジ」に参加する、というアグレッシブさ。
その話を聞いた学生がこう質問したと言う。
「僕は生きる意味がよくわかりません。
無目的に生きている僕らと岡部さんとどちらが幸せなのでしょうか?」
岡部さんの答えはこう。
「身体の動かない不幸よりも、
心の動かない不幸の方が私には耐えられません」
その答えを聞いた学生たちは黙って岡部さんを見つめていたそうだ。

「心の動かない不幸」。
言い得て妙だと思う。
「知らんやろ」を書いた千春さんも、
ALSの岡部さんも、身体は動かなくても心は激しく動いている。

動かない身体を補完する機械はあっても、
動かない心を補完する機械は存在しないよなあ。
「身体は動いても、心が動かない不幸なひと」、
増えてないかな。
わたし自身を含めてどうかな。
そんな気持ちにさせられ、ドキッとした。