まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

苦手なこと

ボランティア仲間がまた一人、この町を離れることになった。
先日その仲間を送る食事会を企画し、仲間がみんな集まった。
 
中にこのところ体調が優れず休みがちだったMさんがいた。
Mさんは病気の関係で生ものは一切食べられなかったけれど、
うどんや天ぷら、茶碗蒸しなどをおいしそうに食べながら、
みんなと談笑していた。
 
お開きになり、店を出ようとしていたときのこと。
少し前を歩いていたわたしの腕をMさんが取った。
「いつも気にかけて連絡してくれてありがとう!」
「あー、いえいえ、来てくださって本当に嬉しかったです」
と答えながら、わたしは身体が硬直したようになるのを止められなかった。
 
わたしは、急に身体に触れられるのが苦手。
ハグされたり、腕を組まれたり、手を握られたり、
急にそうしてくる相手が「こみ上げて来る嬉しさ」などに突き動かされるように、
そういう行動に出ているのだ、ということは理解しているけれど
(だから振り払ったりすることは決してない)、
わたし自身は瞬時にフリーズしてしまうのだ。
 
小さかった頃、かあさんに甘えようと思っても、
かあさんは怖い顔と声で「やめて。」といつも言った。
手をつなごうとすると、
「暑い。手をつながないで。」と叱られた。
姉さんと手をつなごうとしたら、
「あんたなんかと姉妹だと思われたら迷惑よ」と、
手を思い切り振り払われた。
そうされる一方で、小学校6年だった時から何度も痴漢に遭った。
お使いに行ったスーパーで男に胸を触られたり、
お稽古の帰り道、物陰から出て来た男にいきなり抱きしめられたこともあった。
大学へ通うバスの中で、後ろに立った男に身体を触られ続けたこともあったし、
バイト帰りに地下鉄の中から男につけられ、いきなり男性器を見せられたこともあった。
わたしにとって他人と接触することは、
常に不快な記憶と結びつくことだったのである。
 
カウンセラーの先生に言われた。
「・・・よく結婚して、二人の子どものお母さんになれたわよねえ」
確かにそう思う。
でも、夫には非常に気の毒な思いをさせ続けていることもまた事実だ。
とにかく、他人と触れ合うことが苦手なのである。
子供たちが小さかった頃は、「スキンシップが大切」と本に書いてあったし、
わたし自身が母に拒絶されてどんなに辛かったかを痛いくらい覚えていたのもあったし、
必要以上にベタベタと接触していた気がする。
それも、もちろん子どもたちがせいぜい小学校に通っていた間くらいまで。
その後は滅多なことでは身体に触れたりしない。
すごく落ち込んでいたりするのを目にした時、
「ここは母親として無言で手を握ったりしてやった方がいい場面だろう」
と判断した場合のみである。
しかも、常に心の中でそういう状況判断を冷静に行った上での行為だ。
 
映画なんかで、親友どうしが笑顔でハグし合ってる様子を見ると、
「ふうん、本当はああいう風にするべきなのか」と思う。
うらやましく思ったりするわけではない。
学習している気持ちになるだけである。
でも、いざ自分が急にハグされたり腕を組まれたりしてしまうと、
学習したはずなのに、いつもフリーズしてしまうわたしのままなのだ。