まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

登山≠中高年の趣味、じゃないかなあ。


亡くなったとうさんは、学生時代からの筋金入りの山男で。
勤めていた高校では登山部の顧問をしていた。

春休みと夏休みは、それぞれ春山合宿と夏山合宿へ生徒を引率して行った。
顔と首、腕まくりしたシャツから出て居た腕の部分だけが真っ黒に日焼けして、
とうさんが帰って来るとヘンテコな臭いが漂った。
時にはヒルにくっつかれた傷痕を作って来たり、一度などダニにくっつかれたまま帰って来て、
かあさんを仰天させたこともあったっけ。
お風呂にゆっくり浸かったあとビールを飲みながら、
とうさんは合宿中の話を面白おかしく聞かせてくれた。
降るように見える星空のすごさや、オコジョを見たこと、
高山植物のお花畑に咲いていた花々のこと、
生徒たちが作った晩御飯のカレーがしょっぱかったこと等々。
そんな話をしている時のとうさんは心底楽しそうで、
「おとうはホントに山が好きなんだなあ」とわたしはいつも思っていた。
とうさんは教師山岳会の仲間の先生たちと一緒に、
台湾やインドネシアの高い山に登りに出掛けたこともあった。

そんなとうさんだったけれど、
退職まで5年を残した60歳を契機に登山部の顧問を辞めた。
とうさんは持病もなく元気いっぱいだったから、なぜ辞めるのかとても不思議だった。
「そりゃ、イザと言う時に足手まといになったら困るからだべ。
年の割に元気だと言ったって、俺、もう還暦だぞ。
山は年寄りの行くとこじゃない。
俺はイザと言う時に生徒だのもう一人の顧問だのに迷惑掛けたくねんだ。
第一、山で足手まといになる人間がいるってことは、
下手すりゃパーティー全体の命に関わることにもなりかねないんだからな。
俺はそんな無責任なことは出来ない。
山の怖さをよーっく知ってっからこそ、もう辞めんだ」

そして、とうさんは本当にそれ以降亡くなるまで、
二度と山へ行くことはなかった。
娘が幼稚園の年長さんだった時に、
地元の「○○富士」と呼ばれる山への登山遠足があり、
「登山の経験のある親御さんやおじいちゃんなどに付き添いをお願いしたい」
ということだったので、当時74歳だったとうさんに打診してみたことがあった。
とうさんははじめちょっと乗り気になったような口調だったが、
すぐ「やっぱり止めておく。医者さ行くほどでないと言ったって、
俺、ちょっと膝が痛いんだ。
いくら○○富士って言ったって、帰りは下りだからな、
膝痛いのがひどくなって迷惑掛けたら申し訳ない」
と電話口で残念そうに言ったのだった。

だから、新聞などでしょっちゅう報道される中高年層による遭難事故に触れるたび、
「山は年寄りの行くところじゃない。
山を甘く見てっから、こんなことさなるんだ」
と残念そうに言っていた。
「何も高い山さ(に)登んなくたって、ハイキングだっていいべや(いいだろう)。
なして(どうして)、年取ってから、山さ登る気になるんだべ。
俺には分かんねなあ、おっかないもの(恐ろしいもの)」
ともいつもいつも言っていた。
年寄りだけじゃない、若い人だって一歩間違えば命を落とすことになるほど、
山が怖い場所だということをとうさんは骨身に沁みるほどよく知っていた。
高校の登山部員で一番可愛がっていた生徒が、
成人したあと冬山で雪崩に巻き込まれて亡くなったことがあったのだ。
「○○のバカ野郎が・・・。
あいつはとにかく無鉄砲だったからなあ。
あれだけ注意してたのに、それがあいつの命とりになったんだな・・・」
年の瀬も押し迫った頃伝えられた悲報に、
泣きそうになりながらとうさんはそう繰り返していた。
そして、亡くなる直前まで、年に2回の彼岸とお盆の墓参りを欠かさなかった。

登山はお金と時間さえあれば出来る趣味じゃない。
体力ととっさの判断力が不可欠な趣味なのだと思う。
年を取ればどんどん低下していくものばかり。
中高年になってからどうしても山に登りたいのなら、
日帰りで楽に登れる程度の山だけにとどめておいた方が無難ではないか。
ましてや、退職して時間が出来たから登山でも始めようか・・・
と言いながら「日本百名山」など見るのは止めて置くべきじゃないかな、
などと山に登らない山男の娘は思うのであった。