まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

問題の核心は「孤独死」じゃない。

新幹線内での焼身自殺事件。
全く無関係の女性を巻き添えにして死んだのは、
「一人ぼっちのじいさん」だった。
周りの人たちに生活苦を漏らしていたそうだけれど、
それを受けてネット上には「年金もらえてただけでありがたいと思え」
という論調の若い世代の意見が溢れ返っているようだ。
「この世代は節約とかできないからww(←このwは、笑っている様子を表すそうで・・・(;゚Д゚))」とか、
「貯金してなかったテメーの責任だっつうの!」とか、
ここでも「自己責任」の嵐が吹きまくっているようだ。

分かってないのはお前さんたちの方さ、と言いたいな。
若くて働く気になれば働けて、
それだけじゃなく人生の可能性がたっぷり残ってるお前さんたちに、
年寄りの心中の苦悩なんか、想像もつくまい、ってね。

年を取ること、長生きは寿ぐべきものだとみな判でついたように言うけれど、
今の日本で幸せを実感出来ている年寄りはそう多くないと思うぞ。
その中でも、「一人ぼっちのじいさん」の孤独感、社会からの疎外感は半端じゃない。
その凄まじいまでの孤独感は、想像を絶するほどの激しさだ。

亡くなったとうさんでさえ、そうだったからよく分かるのだ。
かあさんを亡くして一人暮らしになったとうさんは、
「生きている意味がない」「生きていたって楽しいことも嬉しいことも何一つない」と、
一日中繰り返していた時期があった。
週に3日わたしが隣県から通って日に10時間以上話に付き合い、
その他に(その頃は姉も遺産問題でヘソを曲げる前だったので)姉もしょっちゅう顔を出してたけど、
それでもとうさんはドクターから「死にたがっているんです」と言われる状態だった。
近所との関係も悪くはなかったはずなのに、
自宅で転倒して自分で救急車呼んで搬送されたあと、
「近所の奴らは俺が自殺でも図ったと思いやがったことだろう」なんて言ってたのだ。
孤独が心を食い荒らす毒になって、
とうさんは一時期人が変わったように性格の悪いことばかり言っていた。

だって、「年を取って一人ぼっち」って、寂しいことこの上ない状況じゃない?
ご飯を食べたって「美味しいね」とか「イマイチだね」とか言い合う相手もない、
テレビを見て「つまんねえな」と言おうにも相手がいない、
散歩したって一人無言で黙々と歩くしかないし、
買い物したって「わあ、お得だったね!」と喜んでくれる相手がいない。
年を取った身体は若い頃と違って無理が利かず、
仕事をしようにも年齢だけでどこからも門前払いを食わされる。
弱音を吐こうにも「男子たるもの・・・」の教育を叩きこまれた世代で誰にも本当のことは言えないし。
(傍らに長年連れ添ったばあさんが居れば話は別だが)
とうさんはいろんな意味で今回自殺したじいさんよりはるかに恵まれてたけど、
それでも孤独に心を蝕まれちゃったんだからなあ。
自殺したじいさんの孤独の激しさはどれだけのものだったことだろう。

マスコミは「孤独死」「孤独死」と大騒ぎする。
でも、問題の核心は「孤独死」じゃない。
孤独死」に至るほどの孤独が老人の「最期の日々」を蝕んでいる、
それが高齢化する日本の根本問題だとわたしは思う。

***補足***
今回自殺したじいさんは、誰かに止めて欲しかったんじゃないかな、
と思われる節がある。
席が空いているのに通路をうろうろしてたこと、
禁煙のはずのデッキで見知らぬ男性にタバコをすすめたこと、
そして全財産を見知らぬ女性に渡そうとしたこと。
「どうかしましたか?」のひと言が欲しかったんじゃないのかな。
うちのダンナさまの知り合いのお嬢さん(中学生)が自死したことがあったんだけど、
その子も自死する前、辺りをしばらくウロウロしてる姿を複数の人たちが目撃していた。
そこで誰か一人でも「どうかしたの?」と声をかけてくれていれば、
その子は多分自死するのを思いとどまったのではないかと思う。
そして、多分、今回の事件でも。
もちろん、最悪の場合850人もの人たちが巻き添えになる可能性があった訳だし、
自殺したじいさんを弁護することは出来ないけどね。