まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

夏山

住んでいる町のすぐそばに山がそびえている。
真っ白なクリームを厚塗りしたような姿だったはずが、
いつの間にかクリームは筋状に残るだけになり、
青空に黒々とした山肌が映える夏山になっていた。
 
「ああ、いつの間にかすっかり夏の山になっている」
そう思った途端、一年前のことを思い出した。
 
老人ホームに入ってから唯一の、
そしてとうさんの生涯最後の外出になったペインクリニックへの通院日が、
ちょうど一年前のことだったのだ。
車いすのままリフトで自動的に乗り込むことが出来る最新式の車両に、
嬉しそうな表情でとうさんは乗せられた。
「すごいね、この車。
まるでサンダーバードの発進シーンみたいじゃなかった?」
そう声を掛けたわたしにとうさんは、
「またバカなこと言って」と笑顔を見せた。
奇しくも車はとうさんが勤めていた学校のそばを通って病院へ向かった。
体育の時間なのか、校庭で運動する生徒たちが見えた。
遠くの山々は、いつの間にかすっかり夏山に変わっていた。
「ねえ、見てみて。いろいろあって全然気付かなかったけど、
山がすっかり夏っぽくなってるよ」
そうとうさんに声を掛けると、とうさんは嬉しそうに、
「あそこに見えるのが〇〇、そしてあっちが××だ」
と山々を指しながら説明を始めた。
「よく山の形だけ見てどの山か分かるよねえ。
あたしなんか、どれ見ても山ってことしか分かんないよ」
「俺が、一体何回あの山に登ったか。
ちょっと見たらすぐ分かるべ」
山岳部の顧問をしていたとうさんはちょっと得意そうにそう言った。
 
きれいな五月晴れの日だった。
とうさんは久しぶりの外出に浮き浮きしていた。
ペインクリニックまでの20分ほどのドライブを楽しみ、
病院で神経ブロック注射を受けた。
帰り道、とうさんは少しくたびれたのか行きより口数が少なくなった。
老人ホームに着いてから、用意して行った昼ご飯を食べた。
付き添いのために朝早く家を出なくてはならなかったから、
仙台駅に入っている店で買ったパンだった。
「ごめんね、おこわ弁当を買いたかったんだけど、
まだS-PAL(仙台駅に入ってるお店)が開いてなかったもんだから。
この次はきっと買ってくるね」
そう言ったわたしにとうさんは、
「いや、旨いパンだ。旨い、旨い。」と本当に嬉しそうに言い、
「あんたも食べさい」と大好物のあんぱんを半分に割ってわたしにくれた。
わたしたちは向かい合ってパンを食べた。
本当に幸せな、幸せなひとときだった。
 
1週間後の通院日にとうさんとおこわ弁当を食べるつもりだったのに・・・。
 
あれがとうさんの最後の外出になり、
とうさんと食べた最後の食事になってしまった。
 
青空をバックにすっきりとそびえ立つ夏山を見ながら、
こんなことを思い出していたのだった。