まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

一人用ドリップコーヒー

香典返しとしてもらった、一人用ドリップコーヒーを淹れた。


ほんのちょっとだけお湯を注して粉を蒸らす。

ちょっと時間を置いてからゆっくりゆっくりお湯を注す。

少しでも急ぐと小さなフィルターからお湯があふれそうになる。

ゆっくりとコーヒーが滴るのを待つ間、

もう会えなくなった人のことを想う。


「俺が淹れたコーヒーは旨いだろ?

お母さんは案外ダメなんだ、急いで淹れっからな。

慌てずにゆっくり淹れねえとダメなんだ、これは」

機嫌よさそうにそう言っていたとうさん。

実家から他県へと帰るわたしのためにいつもコーヒーを淹れてくれたっけ。

「なっ、ゆっくりお湯を入れればばいいんだ。

飲んでみろ・・・どうだ、俺の淹れたコーヒー?」

わたしの返事なんか分かり切っているくせに、

とうさんはいつもそう聞いて来たっけ。

ひと口飲んで「おいしい!」と答えると、

「なっ。俺はコーヒー淹れんのだけは上手いんだ」

と言ってとうさんはいつもニコッと笑った。


今はもう会えなくなったひとと同じやり方でコーヒーを淹れる。

そしてようやく気付く。

とうさんのコーヒーが美味しかったのは、

遠くまで帰るわたしのために、

気遣いをゆっくりと込めて淹れてくれていたからだったのだと。