まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

みしのたくかにと

大学1年の息子と中学3年の娘を育てております。
 
子育てをする上でのわたしのモットーは「みしのたくかにと」。
「みしのたくかにと、みしのたくかにと」と子供と接しております。
 
「みしのたくかにと」とは、児童書の題名です。
「みしのたくかにと」と書かれた謎の種をまいて育てる、
と言った内容だったと思います。
内容は結構うろ覚えになっちゃったのですが、
この「みしのたくかにと」という言葉の印象だけは強烈で、
その後のわたしの育児上のモットーになってしまいました。
 
「みしのたくかにと」とは何のことかと言うと・・・。
反対から読めばすぐ分かります。
「と・に・か・く・た・の・し・み」、そう、とにかく楽しみ、ということなのです。
 
息子は小学校2年生の授業参観の折、
椅子の上に一人立ち、天を指さしながらゆっくりと回っておりました。
まあ、グループごとの活動で、立ち歩く子も多数おり、クラス中ガサガサしている中でしたが、
それでも息子の姿はひと際異彩を放っておりました。
帰宅した息子に「今日、どうして椅子の上に立って回ってたの?」と尋ねると、
「ボク、今日ね、世界一の銅像になってたの!」という答え。
「ふーん、そうか、銅像になってたのか。」と答えながら、
「みしのたくかにと、みしのたくかにと」と内心呪文のように唱える母でありました。
 
娘が小学校3年生の始業式の翌日におねしょ(!)しちゃったときも、
家族が登校したり出勤したりして出払ったあと、布団を干してシーツを洗いながら、
「みしのたくかにと、みしのたくかにと」。
 
長い長い子育て期間中、想像も出来ないようないろいろなことがあります。
でも、それにいちいちガッカリしたり、大人の物差しで計って腹を立てたりするよりは、
「みしのたくかにと」(=とにかくたのしみ)と、
おおらかに構えて成長を楽しみにしてやる方がいいのではないかと思うのです。
 
どの子も、「みしのたくかにと」の種のようなものです。
どんな花が咲くのか、誰にも、本人にすらも分からない。
それなら、出来るだけきれいな花が咲かせられるよう、
笑顔で応援してやるくらいしか、親には出来ないんじゃないかな。
母になってもうじき19年が経ちますが、そんな風に感じています。