まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

傷痍軍人

12日深夜の日本テレビのドキュメンタリー枠で、
大島渚監督の「忘れられた皇軍」という作品を取り上げたらしい。
 
わたしは残念ながら12日の放送は見なかったが、
内容を詳細に伝えるネット上の記事を読んで衝撃を受けた。
 
テレビ業界にも、まだ良心は残っていたのだ。
日本テレビの英断に拍手したい。
 
今から16年以上前に、一度目の東京生活を送っていたとき、
傷痍軍人」という人を見た。
新宿の伊勢丹本店前の歩道に、いつもその人はいた。
ボロボロのむしろみたいなのを敷いて、汚らしい軍服みたいなのを着て。
「ワタシハ傷痍軍人デス」というような、
不思議なカタカナ混じりの看板みたいなものをそばに立てて、
サングラスをかけてむしろの上に座っていた。
お金を入れてもらうためなのだろう、何か空き缶みたいな物が置かれていたが、
行きかう人々はまるでその人が透明人間であるかのように無関心で、
一瞥すらもせずに通り過ぎるのだった。
その時点で敗戦後50年以上経っていたから、
わたしはびっくりして帰宅した夫に見たことを話した。
夫は首をかしげながら、「そんな・・・半世紀以上経ってるのに軍服姿って・・・。
きっと偽者だよ。傷痍軍人をかたってお金をせびっているんだよ。」と言った。
わたしは、「そうなのかなあ?」と何だか納得いかないような気持ちだったけれど、
本物なのかどうか見極めるためにしげしげと見たら悪いような気がして、
伊勢丹に行く時にはその人の前を通らなくていいように、
別の入口から入るようになった。
でも、確か16年前に一度目の東京生活が終わる時までは、
その人はいつも新宿伊勢丹前に座っていたような気がする。
しかし、8年前に2度目の東京生活を送り始めた時に行ってみたら、
その人の姿はもう見当たらなかった。
 
韓国人なのに日本人として戦争に巻き込まれて、
「お国のため」と日本のために戦わされて怪我をさせられて、
戦後は韓国人に戻されて補償も受けられずに世間に放り出されて。
89歳になった韓国人の傷痍軍人の方が、
今も補償を求めて日本政府と交渉を続けておられるそうだ。
先の日テレのドキュメンタリーではその方のことを取り上げたらしい。
 
あの時の傷痍軍人も、そういう人たちの一人ではなかったか。
わたしも、他の人たちと全く同じく、
あの「傷痍軍人」に声を掛けるでもなく、お金を差し上げるでもなく、
ただ無視し続けてしまった・・・。
 
70年近く前に終わった戦争の落とし前もちゃんとつけられていないというのに、
日本の国の中がきな臭くなってきている気がする。
政治家が勇ましいことを言い始めたら、赤に変わる寸前、黄色信号だ。
耳に嬉しい笛の旋律に付いて行ったら、
その先には恐ろしい悲劇が待っているということを、
わたしたちは決して忘れてはならないと思う。
 
わたしは、「永遠のゼロ」は観ない。