まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

二十歳の娘に

もうすぐ娘の20歳の誕生日。
何か記念の品を買ってやろうと思ってはいるのですが、
何がいいか全く思い浮かばないのです。
ネットで検索したら、宝石、バッグ、時計、振袖などが一般的なのだそう。
でも、娘は昔のわたしとよく似て、そう言ったものと無縁な、
地味な若い女性になっています。
ですから、娘を見ていると、どうしても20歳だった頃の
わたしのことを思い出してしまうのです。

わたしが20歳になったのは1986年。
(あっ、歳がバレてしまった!)
日本はバブル経済の真っただ中でした。
しかしながら、地味なことこの上なかったわたしは、
当時の女子大生が夢中だったもの(DCブランドなど)には全く無縁で。
ディスコにもカラオケにもスキーにも合コンにも一度も行ったことがなく、
大学とバイト先(音楽教室の受付や家庭教師など)と家を
行ったり来たりするだけの毎日を送っておりました。

そんなわたしの20歳の誕生日。
サプライズプレゼントは、突然押しかけて来た父の浮気相手でした。
「合鍵を返せ!」「一体何のことだ!」「何なんですか、あなたは!」
玄関先で怒鳴り合うオトナたちの姿を、
実家の階段の上から2段目に座ったわたしは、
腑抜けた顔してぼんやりと眺めておりまして。
そのわたしの姿を幽体離脱したわたしが、
上からこれまたぼんやりと眺めていたのです。
あの頃のわたしにとっては、そんな出来事すら
ただの日常でしかなかったものですから。

大学で知り合って結婚した夫は、
父親のDVを見て育った人でした。
「子供なんか犬畜生と同じ、殴らなければ何もわかるようにならないんだ」
まさか、自分の夫からそんな言葉を聞くことになろうとは。
そして、幼い息子の悲鳴を聞く生活が待っていようとは。
あの頃のことも、心の中の「パンドラの壺」に封印してあります。
うつ病になる前は、忘れることが出来ずに苦しみ続けていましたが、
いいドクターやカウンセラーとの出会いの中で、
ようやく封印することに成功したのです。

結婚以来、色々なことがありました。
本当に色々なことがありました…。
平成2年に結婚したわたしたち夫婦の日々は、
ほとんど「平成」という時代と重なっています。
もうすぐ「平成」も終わり。
そして、上の息子が24歳、
下の娘が20歳になろうとしているのです。

おめでとう、ひめちゃん
(ひめちゃん、はあだ名です)。
あなたが真っすぐな目をした女性に育ってくれて、
母は本当にうれしいです。
あなたたちの存在そのものが、
母にとっては何よりの贈りもの。
ありがとう。
ありがとう。
本当にありがとう。