まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

わたしの母が「毒母」になった理由について考察中です

毒親」という言葉をご存知ですか?
最近流行っているのかよく目にするようになりました。
ネット上には自分の親が「毒親」かどうか、
また自分自身が「毒親」に育てられたのかどうかチェックするテストもあるくらい。
(ちなみにわたしの母のことを思い出しながらテストしてみたら、
母については約8割、わたしについては約9割の問題にチェックが入りました)

わたしの母に関して言えば、二人姉妹の妹であるわたしにだけつらく当たり、
姉の方はその息子(母から見れば孫)も含めて溺愛しておりました。
親による虐待で亡くなる子どもの中にも、
兄弟姉妹の中でその子一人だけがターゲットになる事案がありますよね。
うちの場合もそういう感じで、加えて姉がわたしに暴力や暴言を浴びせていることを
母は知っていて黙認していたのです。

今「黙認」と表現しましたが、
カウンセリングを受ける中でこう表現するのが適当ではないことに気付きました。
姉は母の気持ちを汲み取ってわたしを虐待するようになったようなのです。
つまり、母にとって姉はOKでも、わたしはNGと感じる理由があったということなのです。

それが一体何だったのかということについて現在考察中です。
母が美しいものに異常なまでにこだわるひとだったため、
姉に比べて見た目が劣っているわたしが嫌いだったのだとばかり思っていましたが、
問題はそんなに単純な話ではなさそうで。
母だけでなく、母方の曽祖父母、祖父母(母の実母と継母両方)、母の妹たち、
父、父方の祖父母、父の姉弟たちに至るまでが、
母が持っていたコンプレックスや怒りなどの原因となって複雑に絡み合っていたようなのです。

もう、○○家と××家をめぐる大河ドラマ状態ですね、まるきり。
故人となっている人がほとんどでもあり、
情報の大半が生前の父と母から得た伝聞の形であるのが少々不安材料ではありますが、
伝聞の中には父や母の物事の受け止め方のクセのようなものも含まれている訳で、
それはそれで考察する上での材料となりそうです。

「○○△子という女性がいた。
昭和11年2月に生まれ平成24年11月に亡くなった。
次女にとっては毒母だった」と切り捨ててもいいのでしょうが、
それでは母に申し訳ないような気もするのです。
結構悲惨な生い立ちの中でも真面目に生きようと最後の最後まで必死だったのですから。