まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

自宅警備員だった彼が・・・。

前の記事に関連して、
知り合いの息子さんの壮大な回り道の話を。
 
彼は3人兄弟の末っ子だった。
真面目で優秀な二人の兄と違い、
彼は勉強も嫌いだったしスポーツが飛びぬけて出来る訳でもなかった。
高校を卒業したあと、定職にも就かずフラフラしていた。
自宅警備員だった時期もある。
日雇いで工事現場で働いていた時期もある。
中国人が経営する会社(とは言え、社員は4人だけだ)で、
古いタイヤを輸出するちょっと怪しげな仕事をしていた時期もある。
バイトをちょこちょこやっていた時期もある。
 
彼がそんな風にフラフラしている間に、
上の兄は一流メーカーの社員として海外勤務となり、
下の兄はホテルマンとして一流リゾートホテルからヘッドハンティングされた。
それでも、彼も彼のご両親も焦るでもなく、
彼自身は屈託のない笑顔と素直な性格を武器に、
就いた仕事先それぞれでいろいろな人と出会い、可愛がられた。
 
そんな折、下の兄が自動車事故で瀕死の重傷を負った。
どうにか一命をとりとめ、「もう二度と意識は戻らない」と医者に宣告されていたにも関わらず、
ご両親の献身的な看護のおかげで奇跡的に意識を取り戻した。
でも、脳挫傷で完全に損傷してしまった脳の半分の働きを完全に取り戻すことは叶わず、
ずっと脳神経外科に入院していたが、これ以上の回復は望めないということで自宅へ戻された。
ご両親は自宅を改築し、ご自分たちで息子の面倒を見ることに決めた。
 
すると、ずっとフラフラしていた彼が、
「専門学校へ行って、理学療法士になる!」と言いだしたのだ。
みんな驚いたし「お前には無理だ」と言って止める者もいた。
でも、彼の決意は固かった。
 
今、彼は自分よりひと回り以上年の若い高卒の子たちに混ざって一生懸命勉強している。
彼を見ていると「子供って本当に『みしのたくかにと』の種なんだな」と思う。
彼は芽を出したり枝葉を伸ばしたりするのにとても時間がかかる種だったのだ。
でも、彼のご両親はそんな彼の「種」を「もう腐ってる」とも言わずに、
ずっと温かい目で見守り、成長するのを待ち続けた。
 
高卒で専門学校へ行った子たちよりも、
彼はずっと優れた理学療法士になれる気がする。
35歳で若葉マークの理学療法士
それも十分「あり」だと思う。