まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

結婚記念日に、今までのことを振り返る~その2~

一旦アップした記事を削除しました。
 
・・・何がしたいのかな、わたし。
かあさんの悪行を白日の下にさらして、一体何の役に立つと思ってたんだろう。
 
わたしの中には、もしかすると数人の「わたし」がいるのかもしれません。
子供の頃からかあさんやねえさんにひどい目に遭わされてきたわたしは、
ものすごく嘘つきな子供になって自分の身を守ろうとしてました。
それでも、自分を守りきることが出来なくて、
もしかするとわたしはいくつかに分裂してしまったのかもしれません。
「怒り担当のわたし」「幼い子供のままのわたし」「知性が勝っているわたし」など、
何人かのわたしに分裂することによって、どうにか生き延びてきたのかもしれません。
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
でも、少なくとも「今のわたし」は、昔ひどい目に遭わされたことを実感することは出来ないわたしなのです。
 
去年の11月にかあさんが亡くなって、正直言ってわたしは、とても生きやすくなりました。
親不孝だしバチ当たりな考えだとは思いますが、本当に正直な気持ちです。
 
「あなたの人生は、お母さんの呪縛から逃れる道を探す旅なんだと思うよ」
そう夫には言われています。
10年前にうつ病になってから、昔のことも、結婚当時のことも、
まるで人づてに聞いたことのようにしか思い出せなくなってしまいました。
それでも夫は、「あなたは頑張って、結婚した時よりもだんだんいい人になってきている。
それに、自分がされたように子供を虐待しなかったし、
子供たちだって、あなたたち姉妹と違って、お互いに思いやり深く仲良しの兄妹に育ったし。
これからも、ゆっくりお母さんの呪縛から逃れて、自分を見つけていったらいいよ」と言ってくれています。
 
わたしは、ADHDという障害のようなものを持っていて、一度に複数のことが出来ません。
息子が生まれてから今日までずっと、わたしは「母」95%、「妻」5%くらいの感じになってしまい、
奥さんとしては落第点のままになっています。
それでも文句も言わずにいてくれる夫に、もっと感謝しなくてはいけませんね。
 
「なーんだ、結局はのろけかい?」
 
そうなんです、ごめんなさい。
これこそが、結婚23年目に感じていることなんです。