まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

虚無感

たった半年の間に相次いで両親を亡くしたためなのだろうが、
ひどい虚無感に襲われている。
 
幼い子供と楽しそうにしている人を見ても、
「うちの親にもああいう時代があったのだ。
でも、それからほんの数十年後には命を失って
冷たい骸になってしまったけれど」と思ってしまう。
美しい花を見ても「じきに枯れてしまうのだな」、
買い物に行っても「たくさんの物に囲まれていたって、
かあさんは一瞬で死んでしまったじゃないか。
素敵な服を着ようが洒落た器を買おうが、
人は自分の命がいつ尽きるのかさえ分からないのさ」
・・・という具合。
わたしはシニカルなニヒリストになってしまったようだ。
 
とうさんが亡くなった直後は、頑張って生きようと思っていた。
楽しく充実した人生を精一杯送って、
天国のとうさん(かあさんが見てくれているかは疑問)を安心させなくちゃ、と。
だから落語を習ったり、文章を書いたり、一所懸命にやっていたのだ。
でも、だんだんと虚しい気持ちが忍び寄って来て・・・。
 
お金の心配を常にしなければならないのが大きいのかもしれない。
わたしはお金のことに非常に疎く、夫に保険のことなどを全部任せていたのだけれど。
「郵便局の学資保険にも入った方が良くない?」と尋ねたわたしに、
「住〇生命の学資保険に入ってるからバッチリだ」と答えた夫の言葉を鵜呑みしちゃってたのがまずかった。
実際は18歳で満期になっても、たったの100万円にしかならなかった。
息子の初年度の納入金にも足りなかった。
その他にアパートを借りたり、一人暮らしに必要な品を揃えたり。
義父から多額の祝い金をもらわなければ、大変なことになるところだったのだ。
現在は毎月息子へ仕送りしつつ、娘の美大進学もにらんでお金をどうにかして貯めなければならない。
来年春からは娘を美大予備校へ通わせなければならないし、
センター試験に備えて今通っている塾通いは続けさせなければならない。
今年の春、娘が高校に合格した時に、義父が夫に去年息子にくれたのと同額の
お祝い金を渡したらしいのだが、夫はそれを「転職するために必要だから、俺がもらっておく」と言って
自分の口座にキープしてしまっているのだ。
「パートに出ようかな?」と言っても「絶対外で働くのはやめて。」と言われてしまうし・・・。
そんな状況にも関わらず、あほんだらなわたしは、父が亡くなって3か月後に家庭裁判所で手続きし、
遺産相続の権利を完全に放棄して姉さんに全部くれてやってしまったのだ。
・・・本当に、馬鹿としか言いようがない。
父の面倒を全部わたしひとりで見たと言うのに。
まあ手切れ金みたいなものだ、なんて思って相続税がかかるほどの遺産を、
文字通り一銭残らず姉さんに渡してしまったなんて。
 
要するに、わたしが蒔いた種なのだ。
それを、虚無感に襲われてしまっているなんて、
わたしって信じられないくらいのお馬鹿さん。