まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

かあさんの心の奥にあったものは

とうさんの3回忌が近付くに従って、
何故だかかあさんのことも思い出すことが増えた。

いろいろなことを思い出し、
思い出したことについてつらつらと考えを巡らせてみるんだけど、
どの思い出を入口にしても、
わたしの考えは同じところにたどり着く。

かあさんは、何故あんな風だったんだろうか。

かあさんは「スーパー専業主婦」だった。
ご飯は「蒸しかまど」を使ってお釜で炊く。
(「蒸しかまど」とは焼物で出来た、カプセル状のご飯を炊く道具。)
魚は七輪で焼き、魚焼きグリルを使ったことは死ぬまで一度もなかった。
お料理は実家の旅館で働いていた板前さん仕込み。
丸ごと買った魚をパパッとさばいて、身は刺身にし、アラは汁物に。
しかも、刺身は大根やきゅうりで美しく作ったつまや大葉と一緒に、
目にもおいしく盛り付けられていた。
塩焼きの魚のヒレやしっぽにはちゃんと化粧塩をして、
末広がりに金串を打って七輪でほどよく焼くことができた。
漬物はたくあんも白菜も自分で漬け、青梅を買ってきて一から梅干しを漬けた。
梅酒を作り、いちごやりんごのジャムを煮た。
お裁縫は和裁も洋裁もどちらも出来、
ベルベットのドレスからとうさんの羽織まで自分で縫えた。
編み物は機械編みに棒針編みにかぎ針編み、何でもござれ。
近所の奥さんに刺繍を習うと、あっという間にその人よりも腕を上げた。
書道は私をお稽古に連れて行くついでに自分も小筆を習い、
お手本みたいな楷書や行書が書けた。
整理整頓が大得意で、家の中は(わたしの部屋をのぞいて)いつも美しく片付き、
いつ誰が訪ねて来ても慌てることもなくすぐ部屋へ通せた。
それから、それから・・・。

こうやって改めて書き出してみると、
かあさんの「スーパーぶり」にびっくりさせられるばかりだ。

でも、生前のかあさんから伝わって来たものは、
「あたしってすごいでしょう!」という気持ちだけだった。
「すごいでしょう!」と胸を張るのならいい。
かあさんは高い所から見下ろした世の中のすべてを、
自分を基準にして「上下」に区別していた。
そして、「下」のすべてを侮蔑し、
「上」のすべてに嫉妬し敵意を向けた。
だから、かあさんの口から出る他者への評価は、
「まるで馬鹿みたい」と「わたしのことを馬鹿にして」のどちらかだった。
かあさんのその価値観から逃れることは、誰にも出来なかった。
たった二人、例外として逃れることができたのは、
姉と姉の息子だけだったのだ。

当然、わたしとわたしの家族は「下」グループだった訳で。
何をしようが何を言おうがかあさんのお気に召すことはなかった。
反対に姉と姉の息子がどんなことをやろうが言おうが
「上」評価が揺らぐことすらないのを見せつけられて、
わたしは内心とてもとても悲しかった。

・・・かあさんはどうしてあんな風だったんだろう?
ずーっとずーっと考えて来て、
一つ気付いたことがある。

かあさんは褒めてもらいたかったんだ、自分のことを。
「すごいね」「さすがだね」「上手だね」「素晴らしいね」・・・。
かあさんのやることを一々褒めていたらキリがなかったけど、
かあさんはそのキリのないことを心底求めていたんだと思う。

そう言えば、かあさんにはずっと昔から不思議な癖があった。
わたしがお使いに行かされた時などに、
わたしと相手の人との会話を勝手に作ってしまう癖が。
それは例えば、
「何て言われたの?『その服、お母さんが作ったの?素敵ね』って言われたの?」
「それで、あんたは『はい、母が作りました』って答えたの?」
「『いやいや、大したことありません』って言ったの?」
みたいな感じだった。
そのうち、わたしはかあさんを喜ばせるために作り話をするようになった。
相手が何も言わずにスルーした場合なども、
「『お母さん、本当に器用なのね、そんなことも出来るなんて素晴らしいわね!』って
すごく驚いてたよ!」とか、
「『お母さん、いつも身ぎれいになさってて、いつ見ても素敵ね』って言われたよ!」とか。
そういう作り話にかあさんが「あら、そんなことないわよ」と言いながら
喜びを隠せないでいる様子を、複雑な気持ちで見ている子供だった。

洗濯機も炊飯器も使わずに、昔ながらのやり方で丁寧に家事をこなすかあさんを、
新聞に投書でもしてあげていればマスコミに取り上げてもらえたかもしれない。
そうなれば日本中の人たちに褒められて、
かあさんはどれだけ幸せだったことだろう。

でも、わたしはそうしてあげなかった。
かあさんが生きてるうちに、そうしてあげれば喜ぶことに気付いていたけれど、
世の中にかあさんの素晴らしさをアピールしてあげる気持ちになれなかったのだ。
それは、ねえさんの仕事だと思っていた。
そして、「あんたなんかの考えることは全部、
あたしはとっくの昔に考えてるわ!」という態度のねえさんのことを買いかぶっていたから、
本当に必要なら機会を作ってねえさんがアピールするだろうと思っていた。
結局、ねえさんは何にもしなかった。
かあさんが死んだ後、「かあさんはいつも褒めてもらいたがってたよね」と言ったら、
やっぱり「あんたもそう思った?あたしはずっと前から気付いてたけど」とねえさんは言った。

褒めてもらいたい、みんなに褒めてもらいたい、
かあさんがそんなにも痛切に願っていたのは、もしかすると、
「スーパー専業主婦」だったはずのかあさんが、
自分に全く自信がなかったせいなのかも知れない。
かあさんの言動からは感じられなかったけれど、
いろいろなことを整理して考え直してみると、そんな気がする。

ひどい目に遭わされてずーっと恨めしく思ってたけれど・・・。
かあさんが世に出るために、背中を押してあげれば良かったなあ、と
今ごろ後悔しているわたしなのだ。