まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ときどき「ちりとてちん」~第56話~

・・・はあー。
糸子さんが欲しい。
わたしのお母さんとして、糸子さんが欲しい。
そして、もう一度子供になって人生を取り戻したい。
 
今日の放送を見て、そんな風に感じました。
 
では、早速・・・。
 
今日のイチオシ!
「何言うとんのぉや、この子ぉは。
大丈夫や。次頑張ったらええやな。
お母ちゃん、見といたるさけ。」
 
とうとう迎えた初高座、喜代美改め徒然亭若狭は、
緊張のあまり「オチを噺の途中で言ってしまう」という痛恨のミスを犯してしまいます。
どうにかこうにか、アドリブで噺を下げて高座を下りますが、
悲しくて師匠の家に駆け戻って泣いておりました。
そこへ、心配のあまり初高座を見に来ていた糸子さんがやってきます。
初めは「来んといて言うたのに、お母ちゃんがあんなとこで立って見とぉから、
緊張して間違うてしもうたんや!」などと八つ当たりしていた喜代美ですが、
八つ当たりも黙って受け止めてくれる糸子さん相手に本心を話し出します。
「どねしよ・・・どねしよ・・・あんな失敗してしもうて・・・。
やっぱり落語家なんか無理やったんや。
落語なんか出来ん・・・人前でしゃべる仕事なんか・・・出来る訳なかったんや・・・」
泣きながら、切れ切れに言葉を絞り出す喜代美を優しい表情で見守っていた糸子さんは、
黙って喜代美を抱きしめてやります。
そして言ったのが「今日のイチオシ!」です。
喜代美は安心しきった顔で糸子さんに抱きしめられながら泣きじゃくります。
その様子を、草若師匠は厳しい顔つきをして見ていましたが、
何も言わずに立ち去ります・・・。
 
きっと、「お母さんに見に来てもらう」のも、「お母さんに弱音を吐く」のも、
ましてや「お母さんに泣き言を言って甘える」ことも、
内弟子修業中の身としては、全部やってはいけないことばかりなのでしょう。
厳しく芸の道に精進しなければならない時期に、甘えが出てしまいますからね。
でも、わたしは見ていてひたすら喜代美がうらやましかった。
「ああいうお母さんにずっと育てられたら、優しい女の人に自然になれるのかな」と思いました。
それから失敗した人にも優しくなれるのかな、と。
 
「はぁん、人が止めたのに言うことも聞かないで落語家なんかになって失敗して。
どうせ、今日の高座、失敗したんでしょ?あんな訳の分からない落語なんか、聞いたことないし。
一体これからどうするつもり?初高座であんな恥ずかしい失敗して、もう取り返し付かないから。
出来る訳もないことを出来るなんて思い上がった自分のせいよ。
仕方ない、一生かかってこの失敗をどうにかして取り返すんだね。
まあ、自分で蒔いた種なんだから、自分でなんとかするよりほかないんだからね。」
わたしの母だったら、絶対こう言うはずです。
そして、自分の犯した失敗と、母に言われたこととの二重のショックで、
言葉も出なくなっている状態のわたしを一人残して、
勝ち誇ったような顔をしながら立ち去るはずです。
 
・・・糸子さんの子どもにはなれなくても、
糸子さんみたいなお母さんになら、頑張れば近づくことは出来るかも。
わたしも、子どもたちが失敗して泣き言をこぼしたくなったとき、
笑って受け止めてやれるお母さんでいなくては、と今日の放送を見て思いました。