まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

スポーツと体罰について思うこと

体罰自殺事件、女子柔道選手からの告発・・・。
スポーツ界には上から下まで激震が走ってるようだ。
運動部の顧問、柔道選手団の監督やコーチなどが非難の的になっている。
でも、そういった個人が問題の本質かということを考えたとき、
実はスポーツ関係の体罰問題が非常に広範囲にわたる問題を含んでいることに気付く。
 
わたしにはオリンピックレベルの選手の話は出来ないので、
中高生の運動部での話をしようと思う。
 
まず、問題になると思うのは、スポーツでの実績次第で入れる有名大学があるということだ。
W大やK大、M大など、普通に勉強を頑張っていたのでは合格するのが難しい大学に、
全く勉強が出来なくても入ることが出来る!
しかも、授業料等免除の特待生扱いで!
自分の子供が残念ながら勉強方面には向いていない、と諦めかけていた親にとって、
「スポーツでの実績が有名大への切符につながる」ということが
どれだけ大きな魅力になることか。
(わたしが勤めていた小学校の技能職員さんの例。
彼は学習障害で漢字がほとんど読めなかった。
しかし、ラグビーで花園へ行ったことがあったため、
H大から特待生での入学を持ちかけられていたという。
家庭の事情で早く働いて収入を得たかったため断ったそうだが。
彼が大学への入学を持ちかけられたのは今から30年も昔の話。
学習障害などという概念は教育関係者でも持ってなかった時代。
学習障害児が下手をすれば知能的に問題あり、とみなされていた頃の話だ。)
子供が所属するチームに実績を積んで欲しい親は、
監督やコーチに保護者会でこう頼むのだ。
「先生、なんとしても勝たせてください。
どんな方法を使っても構いません。
どんなに厳しく指導してくださってもいいですから、とにかく勝たせてください。」
(これはわたしが実際に耳にしたことだ。
息子が中学で男子バレー部に入ったときの保護者会で出された意見がこうだった。
その後の指導の苛烈さと言ったら・・・。
至近距離からボールを顔面に投げつけ鼻血を出させる、
「やる気がない」と顧問が判断したプレーをした選手を、
自分が履いていたサンダルで殴りつける、
尻を蹴る、顔面に平手打ちを食らわす、
人格を全否定するような罵詈雑言を雨あられと浴びせる・・・。
夏場閉め切った体育館で水を飲ませずにずっとサーキットトレーニングさせ、
熱中症になりかけた生徒が次々と吐く・・・。
信じられないようなことが「指導」の名の下に行われていた。
しかし、大多数の親は勝利至上主義だったため黙認。
うちの息子をはじめ、顧問の指導に疑問を持った数人は1年生の終わりまでに部を去った。
中には夏休みの途中から部活に来なくなり、
そのまま3年間不登校になってしまった子もいた。
しかし、都大会で優秀な成績を収めたため、顧問に異を唱える者はいなかった。)
 
次に問題になるのは監督やコーチの資質だ。
有名チームの監督やコーチになるくらいの人物なら、
大抵の場合自身もそのスポーツである程度の経験と実績を持っていることが多い。
しかし、今の日本で指導者層になっているくらいの年齢の人たちは、
「スポーツの厳しさ=指導者の罵詈雑言や鉄拳指導に歯を食いしばって耐える、
または先輩からの不条理なイジメに耐え抜く」という認識を持っていることが多い。
現在46歳のわたしが中学や高校で目にした運動部は、どれもそういったものばかりだった。
唯一の例外は高校の山岳部くらいなものだ。
彼らが自分の経験を生かして指導したら、一体どんな指導になるかは火を見るより明らかだろう。
また、スポーツをすることで身に着く美点として、
「苦しい練習に耐えることで強い精神力が身に着く」とよく言われる。
しかし、少なくともわたしが目にした範囲では、
スポーツに伴う「苦しさ」には走ったり跳んだり技能を修得する過程で経験するものの他に、
コーチや先輩からのしごきやイジメによる「苦しさ」が含まれていたように思う。
そのことによって自身も人格的に問題のある人物になっていった友達もたくさんいた。
コーチや先輩に「ヘタクソ」とイジメられている同学年の子を集団でいじめてみたり、
自身が先輩になった時に「3割り増しで返す」と言いながら後輩たちに苛烈なイジメを行ったり・・・。
それはよく世間で云われている、レモンの香りがしそうなスポーツマンシップからは程遠い、
陰湿で恐ろしい世界であった。
(さらに、スポーツでいい成績を取った者は、謙虚さが美点とされる日本において
例外的に「いい気になること」が許されているという事実もある。
勉強や芸術関係でいい成績を収めた子が少しでもいい気になればいじめの対象になるが、
スポーツでいい成績を収めた子はヒーローだから崇拝されるばかりだ。
早い話が高校野球マガジン、などという雑誌があり、
高校球児はグラビア写真まで載っててアイドル扱いだ。
学生音楽コンクールマガジンや、数学オリンピックマガジンがあるか?)
そういった形でのスポーツで実績を収めた人物が大人になり、
現在監督やコーチとなっているのだから、その実態は推して知るべし、だろう。
 
監督やコーチは「指導」の名の下に体罰を加え、
勝利至上主義の親はそれを黙認したり、「いい先生」だと歓迎したりする。
そういった「指導」に耐えられず弱音を吐いた子供は、
監督やコーチ、さらには自分の親からも
「情けない」「軟弱者」「精神的に弱い」などと非難されることが多い。
今の子たちは結構打算的だったりドライだったりするので、
友達が精神的に危機的状況に陥ったとしても、
「こいつが辞めればレギュラーの枠が一つ空くな」くらいにしか思わない子も多い。
かくして犠牲者は増えていくのである。
 
残念ながら、これがわたしが見聞きしたスポーツ強豪チームの実態である。
息子がかつて所属していた剣道の道場は、
高齢の大先生が「剣道は勝つことが大切なのではない。
剣道を通して心を鍛えることが大切なのだ。」という信条の下指導していた。
だから、練習は素振りをしたり打ち込みをしたり、練習稽古をしたりハードではあったが、
みな和気あいあいとして、子供たち同士も仲良しだったし、
年上の子達は年下の子達の面倒を見たり遊んでやったりしていた。
しかし、大会では「出ると負け」状態だった。
なぜなら、勝つためのテクニックを磨く練習を全くしてなかったから。
剣道において勝つためのテクニックとは、
反則すれすれの「汚い技」を審判に気付かれずに出す方法、と言っても良さそうだった。
正攻法しか身に着いてなかった息子たちの道場の子たちは、
そういう「技」を身に着けた子達の前になすすべもなかったのである。
全てがそうではないだろうが、
これもまた、わたしが目にしたスポーツの現実の姿だ。
そして、息子が通っていた道場関係の保護者の中にも、
「勝てる剣道を教えてくれ」と言い張る者がいたこと、
高齢だった大先生が引退なさった後は、
残念ながらそういった方向へ進んで行ってしまったらしいことも付け加えておきたい。
 
・・・なんだか、スポーツと体罰、というテーマからだいぶそれてしまったな(汗)
つまり、問題は大きく分けて三つ。
1. 指導者層の今までのスポーツとの関わり方から生まれる指導法の問題
2. 保護者の勝利至上主義と、それを生む背景になっているスポーツ特待生問題
3. スポーツ自体の二極化(教育か、勝利か)
 
中学1年生の1年間ですっかり地獄を見た息子は、
以来全く運動部には・・・入った、というか入らざるを得なかった。
この町に中3になる時に転校してきて、
市の中学校総合体育大会が終わるまでの期間だけ剣道部に入ったのだ。
なぜなら、この町の中学校には文化部というものがほぼ存在しないから。
吹奏楽部と美術部の二つはあるが、
吹奏楽部は中3からは入れないし、
美術部に入ってる子達は学年の子達から「軟弱者」というレッテルを貼られ、
いじめの対象にされる、という話を聞いたため。
ここでは運動部に入ってる子=頑張り屋、粘り強い、友達思い、
文化部に入ってる子=情けない、根性がない、ダメなやつ、
みたいなイメージが完全に出来上がっている感じなのだ。
そして、非常に多くの親が運動部の子供のためにと休日のたびに車での送迎をはじめ、
まるで子供の「追っかけ」みたいな生活を嬉々として送っている。
ちょっと理解できない世界だ。
これも、スポーツを取り巻く問題点の一つだとわたしは思っているのだが。