まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

子どもたちと見て感激したアニメその2「おジャ魔女どれみ」*ネタバレ注意!

著しいネタバレがあります。
未見の方はご遠慮ください。
 
 
アニメつながりでもう一つ。
これまた「名作アニメ」「泣けるアニメ」の類の番組からは全く無視されてましたが、
おジャ魔女どれみ」シリーズも、すごく良かったです。
わたしは、息子が小さかった頃から子供そっちのけで見て感動して泣き、
娘がちょっと大きくなったらDVDを全部借りて一緒に見てまた感動して泣きました。
 
おジャ魔女どれみ」シリーズの素晴らしいところ。
これは、オズの魔法使いみたいな話なんですね。
どれみちゃん、はづきちゃん、おんぷちゃん、あいちゃん、ももちゃん、
おジャ魔女」と呼ばれる見習い魔女になった彼女たちには、
晴れて正式の魔女になったら魔法の力を借りて成し遂げたいことがそれぞれありました。
でも、いざ正式の魔女になれる、という段になった時、
彼女たちは紆余曲折を経てそれぞれが大きく成長して、魔法の力を借りることなく、
すでにそれぞれの願いを達成していたのですね。
だから、誰一人として魔女になる者はいなかった。
 
・・・あっ、うっかり結末から書いてしまった
しかし、その結末に至るまでの過程が本当に素晴らしいのです。
どれみちゃんたちは、普通の小学生として学校に通っていますが、
そこで起こる問題が、小学校の教員をやっていたわたしが見ても、
「あるある!」とか、「納得!」とか思えるような描き方をされていて、本当に嘘がないのです。
例えば、同じクラスにいる、不登校の女の子の話。
男子の言葉がきっかけになって不登校になってしまったその子の心を、
どれみちゃんたちは時間をかけてほぐしていきます。
そして、ようやく一緒に学校へ行く気にさせることが出来、待ち合わせて学校へ向かうのですが・・・。
学校が見えた途端、その子は激しい吐き気に襲われて、
結局は登校できずに終わるのです。
(最終回までには登校出来るようになりますが)。
普通のアニメなら、楽しく登校して終わりでしょう。
でも、このアニメには嘘がない。
そんなに簡単に克服できるような問題ではないということを、きちんと描いています。
その一方で、その子を不登校にさせた原因を作った男子も、
そのことを心の傷としてずっと自分の中で抱えていたことが後々分かって行きます。
両者が許し合い、歩み寄る過程も、きちんと描かれます。
一方で、どれみちゃんたちを取り巻く大人たちの問題も描かれます。
クラスメイトの男の子と、警察官であるその父親との話。
別のクラスメイトの男の子と、その子を女手一つで育てている小料理屋の女将さんの話。
どれみちゃんは毎週日曜日に放送されていたのですが、
毎年の父の日と母の日には、そういう親子関係の話が放送されていて、
それがまた、涙なしには見られない感動作ばかりだったのです。
子供の世界の話、大人との世界の話、そしてもう一つ、魔法界との話。
この魔法界との話も、「家族」ということが大きなテーマに据えられていて、
考えさせられたり、感動させられたりすることが多かったです。
 
そして、またしても音楽がいい、というお話。
どれみちゃんのシリーズは何作かあり、劇場公開作品も含めるとかなりの数になるため、
挿入された曲も相当沢山あります。
中でも、わたしのお気に入りは最終シリーズのEDテーマ曲「わたしのつばさ」です。
これ、本当にいい曲です。
うちの娘を老人ホームでのボランティアに連れて行って歌わせたとき、
この曲も歌ってもらいました。
1番だけ歌詞を挙げると、
♪ちょっと恥ずかしいけど つばさ広げてみる 色も形もちがう わたしだけのつばさ
 はばたけ 今日のわたし あの頃より 大きく見えるでしょ?
 あなたの手も 越えてゆける そんな気持ち 空に舞い上がれ 
 笑っていた 泣いていた あのときの場所も
 へこんでた はしゃいでいた たくさんのときも
 あんなに小さく見えるけど 心にはあふれてる 「ありがとう」
・・・だめだ、卒業式の回の話を思い出しただけで、
うるうるしそうになってしまいました。
近ごろのアニメはとにかく猫も杓子も「バトル」「バトル」、そればっかしになってるのが気に入らないのです。
気に入らない奴はぶっ飛ばす、分かり合えない奴はぶっ飛ばす、
「敵」と認識した奴はぶっ飛ばす、お互いにぶっ飛ばされたりぶっ飛ばしたり、
力や技で上回った方が正義になる。
その短絡的な考え方を小さいうちから刷り込もうって了見が気に入らないのです。
かつてどれみちゃんが放送されていた時間帯に、
かのプリキュ●が放送されるようになってから、
世の中の小さなお嬢さま方が狂暴化したような気がしているのはわたしだけでしょうか。