まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「おばちゃん先生、大いに困る」の巻

先週1週間だけ、幼稚園のおやつの時間のお手伝いに行きました。

木曜日だったか、ショートブレッド(サクサクのクッキーみたいなお菓子)が
おやつに出ました。
給食の先生の渾身の力作で、小さなショートブレッド1枚1枚に
顔が付いており、お子たちは大喜び&大騒ぎ。

おやつを配り終えたわたしは、テーブルに近づいて
「ここにいーれーて!」と言いました。
すると、いつもは「ダメ、先生のこと、あたし、嫌いだから!」と
笑顔で意地悪を言って来るAちゃんが「いーいーよ!」とニコニコ二つ返事。
「あらあら、今日は意地悪言わないのね」と思ってAちゃんの隣に座ったら…。
「あたし、先生のお菓子、食べちゃおう!」と言ってわたしのお皿からショートブレッドを取り、
「先生、嫌い。もういいから、あっち行って」。

本当に驚きました。
Aちゃんがわたしの子供だったら、ものすごく叱る場面です。
(他人のものが欲しいなら、「これ、もらっていい?」と聞いて、
「いいよ」と言われてからもらわなくてはいけないし、
相手からもらうものだけもらったら
「嫌いだからあっち行け」と失礼なことを言うなどと言うのは、言語道断だから!)。
でも、今の幼稚園ではお子たちをきつく叱ってはいけないのです。
子供たちの心が傷つくといけないから。
仕方なく笑顔で「そういう言い方されたら、Aちゃんだって嫌でしょう?
先生、とっても嫌だったよ」と言ったら、Aちゃんは笑顔で
「いいから、早くあっち行って。あたし、先生のこと、大っ嫌いなんだから」。

幼稚園から帰宅して、うちのお子たちが小さかった頃、
どんな風にしてたか思い出してみることに。
長女と4歳違いで、4年間にわたって一人っ子だった長男。
わたしは「独り占めするのが当たり前」と言う子供にさせたくなくて、
いつも長男のおやつを分けてもらうことにしていました。
長男のおやつのお皿にたまごボーロやカルケットなどをちょっと多めに入れ、
わたしはコーヒーだけ飲みます。
そして、「〇ちゃんのおやつ、とっても美味しそうだなあ。
おかあさん、一つ欲しいんだけど、くれるかな?」
長男が「はい、どうぞ」とくれたら、大げさに「わあ、とっても嬉しい、ありがとう!」と喜んで見せ、
口にお菓子を入れて「二人で食べるととっても美味しいね!」とニコニコする
…というのを繰り返していたのです。
仙台の実家へ帰った時にも同じことをやったら、母に
「子供のおやつを取るなんて大人気ないこと!」と呆れられたりもしましたが…。
長男がちょっと大きくなったら、わたしからも「これ、どうぞ」と分けてあげるように。
こんな風にしていたお陰か、長男は盆踊りでもらったジュースなども家に持ち帰り、
妹と分けっこするのが当たり前の子になりました。
長男を見ながら育った長女も、特にわたしが何も教えなくてもやはり
「みんなで分けると美味しい」と感じる子になったのです。

「躾」と「体罰」とはいつの間にか切っても切れないもの、みたいな
とらえ方をされるようになってしまい、「躾不要論」を唱える人もいるとか。
でも、お子たちが小さいうちに、親が考える最低限の「望ましいあり方」を教えることは
絶対に必要なことではないかとわたしは思うのです。
それが無くなってしまったら、お子たちは成長するうえでの指針を失ってしまい、
迷走するしかなくなるとも思います。

何かが欲しい時には「これ、もらっていい?」と聞いたり、
悪いことをした時には「ごめんね」と相手に謝ったり、
本やおもちゃは足で踏まないように気を付けたり、
誰かに何かを頼む時には「○○してください」と言ったり、
何かしてもらったら「ありがとう」と言ったり、
先生が何か言ったらおしゃべりを止めて話を聞いたり、
本やテーブルに腰掛けないようにしたり…。
ごくごく基本的な「躾」が全く為されないまま、
来年小学校へ上がろうとしているお子たちもたくさん見られる中、
おばちゃん先生は「どうしたらいいんだろうか…」と困っているのです。