まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

どんべえ(仮名)のこと

わたしは中学1年生の頃、学校でイジメに遭った。
ある日学校へ行くと、ヤンキーの親玉であったマサオ(仮名)に
「垢の地層」と言われ(別に汚らしい少女ではなかった、誓って言うけど)、
クラス中がそれに追従するかのようにわたしをイジメるようになったのだ。
持ち物の氏名の一字に油性ペンで濁点を付けられたり
(名前のある一文字に濁点を付けると、すごく間抜けな響きになるのだ)、
学校に置いておいたスケッチブックの表紙をジャキジャキに切られたり、
朝礼の時、人数確認のために列の脇を歩いてる時足を引っ掛けて転ばせられたり
(学級委員をしてたので)、
もちろん「垢の地層!垢の地層!」と大声で罵倒されたりした。
でも、一番辛かったのはクラス中から無視されるようになったことだった。
体育の時間、バレーボールのチーム分けする時にも、入れてもらえない。
最後まで残ったわたしを教師が「入れてやれ」と言うと、
チームの代表同士でじゃんけんをして、勝った子が「いらない」。
じゃんけんで負けた方のチームに入っても、
わたしがレシーブしたボールは誰も打ってくれない。
サーブをすれば、相手チームの子が避ける。
あれで、本当にただの一人も味方が居なかったとしたら、
いくら学校の外に居場所があったとは言え
(その頃は音楽関係で大きなステージに立つことが多かった)、
多分精神的に追い詰められて大変なことになっていただろう。

わたしには、たった三人だけだったけれど、味方がいた。
何故だか、全員変わり者の男子ばかり。
マサオと同じサッカー部の子(自然気胸のため休部してたが)と、
すぐブチ切れるので有名だった吹奏楽部の子と、
タイトルにもなってる科学部のどんべえ(仮名)と。

中でも思い出深いのがどんべえのこと。
彼は、代々医者の家に生まれて「何としても仙台一高に入り、医者になるのだ!」
という使命を帯びていた。
だからとても頭のいい少年ではあったのだが、いかんせん、不潔な少年だった!
頭を掻けばフケがバラバラ、授業中は鼻ク〇をほじくって机に塗りつける。
(どんべえの机は、そんな訳で掃除の時に誰にも運んでもらえなかった)
横にも縦にも大きな身体をしていて、気に食わない相手には
「あんたね、アタシの鼻ク〇をお見舞いするわよ!」(何故か一人称はアタシだった)。
みんな、恐怖の鼻ク〇攻撃を恐れていて、どんべえには一目置いていたのだ、
あのヤンキーの親玉のマサオでさえも。

どんべえは、みんなに無視されているわたしとも平気で話をした。
どんべえと仲良しだったブチ切れ吹奏楽部の子と、
サッカー部を休部してて行き場を失ってた子も。
ある日、マサオがどんべえに向かってこう言った。
「テメエ、垢の地層と話すんじゃねえ。」
その時のどんべえの返事を思い出すと、今でもスカッとする。

どんべえは、マサオをじろっと見下ろしながらこう言ったのだ。
「アタシが誰と話して誰と話さないかは、アタシが決めることだから。
四の五の言ってると、アタシの鼻ク〇お見舞いするわよ!」
そう言って鼻の穴に指を突っ込んだので、
「テメエ、覚えてろよ!」と捨て台詞を残してマサオはスタコラサッサと逃げ出した。
「ありがとね」とどんべえに言ったら、どんべえは
「アンタのためにしたんじゃないから。
アタシは、自分のことは自分で決めたいってだけのことだから!」と言った。
色が黒くて、しみだらけの汚い学生服を着たどんべえから、
その時は後光が差して見えた気がした。

どんべえは、ちゃんとお医者さんになったのかな?
まさか、今でもしみだらけの白衣にフケだらけの頭・・・ってことはないよね!