まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「案山子」を聞いて母は・・・。

用事があって久しぶりに車のハンドルを握った。
地元のFM局の番組を聞きながら車を走らせていたら、
さだまさしさんの「案山子」が流れてきた。
 
突然、涙が洪水のように溢れだした。
危なくて運転していられず、車を路肩に寄せて止めた。
 
息子が東京へ行って約1ヶ月。
入院していたとうさんの付き添いとか、老人ホーム探しとかでバタバタしていて、
息子がいなくなって寂しいと感じる暇も余裕も全くなかった。
でも、やっぱりわたしは心のどこかで寂しかったのだ。
 
明日、もう引越しという晩、
いつものように「じゃあ、おやすみ」と言いに来た息子にこう言った。
「巣立ってゆくにいちゃんに、どんな言葉を贈ろうかと考えていたけど、
おかあさんが言いたい言葉は『ありがとう』だよ。
仕事が忙しかったおとうさんと二人暮らしだった頃、
おかあさんの毎日は寂しくて孤独だった。
結婚して5年経ってにいちゃんが生まれた。
にいちゃんを連れて転勤でいろんな町へ行ったけど、
おかあさん一人だったら出来なかった経験をしたり、
いろんな人と知り合いになれたりした。
それに、にいちゃんが生まれて
寂しかったおかあさんの毎日がドキドキやワクワクで一杯になった。
キミが生まれてくれて本当に良かった。
今まで本当にありがとう。
明日この家を出てにいちゃんは独り立ちするわけだけど、
おかあさんは何にも心配していないよ。
キミはいいヤツだから、大学へ行ってもきっと素敵な経験が出来ると信じてる。
本当に、今までありがとう。」
息子はぽろぽろ涙をこぼしながらそれを聞いていた。
そして、「わたしの方こそ今までありがとう。」と言った。
明くる日、東京での引越し作業が終わり、もうわたしが帰る時間になった時、
最寄りの駅まで息子は見送りに来てくれた。
泣かないと決心してたから、わたしは笑顔で手を振ったけど、
見送ってくれてた息子はぽろぽろと泣いていた。
電車に乗り、東京の街並みを見ながら、放心したようなわたしは不思議と泣かなかった。
 
あんまり忙しくて、心配事がいっぱいの毎日に、
そんな光景さえ思い出さなかったけど、
さださんの「案山子」を聞いていたら不安でいっぱいだった息子の顔が思い出されて、
あの日の分までわあわあと泣いてしまったのだった。