まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

メイド・イン・ジャパン逆襲のシナリオを見て①

NHKで2夜連続放送された「メイド・イン・ジャパン逆襲のシナリオ」を少しずつ見ている。
NHKらしい、非常に力のこもった番組だった。
わたしは経済に全く明るくない。
だからあの番組の「どこが論点としてずれてる」とか「見通しが甘い」とかは分からない。
でも、主婦で母親の立場からでも、いろいろと考えさせられることがあった。
今日は「もの作り少年団」について。
 
番組の中で創成期のソニーの理念が何回も紹介されていた。
そこには「自由闊達」「愉快」といった文言が並ぶ。
それと共に紹介されていた白黒の写真からも、
創成期のソニーの技術者たちが非常に楽しんで
愉快にものづくりをしていたことが伝わってきた。
ものづくり=愉快。
そう言えば・・・と思い出したことがあった。
 
わたしがまだ幼稚園に通っていた頃のこと。
年明け早々に親子で凧作りをしたことがあった。
実際大半を作ったのは母で、わたしがしたことと言えば、
クレヨンで下手くそな絵を描いたことと、しっぽを糊でくっつけたことぐらいなものだったろう。
出来上がった凧を持って幼稚園の近くの公園に行き、早速凧を揚げることになった。
わたしはそれまで凧揚げをしたことがなかった。
凧を持って走り、手を離すと、凧はよく晴れた冬の青空に向かってグングン上っていった。
・・・わたしが描いた下手くそな絵そのままに。
・・・さっきくっつけたしっぽをゆらゆらさせながら、
遥か上空へと凧が上っていく様子に幼かったわたしは大感激した。
何にそんなに感激したのか説明するのは難しいけれど、
まるで自分も凧と一緒に大空へ上っていくような強烈な解放感を感じたのだ。
「ものを作るのって楽しい!」ということが超強力にインプットされた出来事だった。
 
そういうこと以外にも、わたしが子供の頃はまだ
ものつくり=愉快、と子供たちが実感できるようなものが世の中にあふれていた気がする。
男の子の趣味と言えばプラモデル作りだったし、
もっと上級の子になると電子工作に手を出してる子もいた。
そういう自分で作ったものを放課後見せっこしたりして、
みんな創意工夫をこらして他の子よりも少しでもいいものを作ろうと夢中になってた気がする。
少なくとも、ものつくりが趣味=オタク、みたいな感覚は皆無だった。
 
今の子たちはものつくり=愉快、と感じるような体験をしないまま育っている気がする。
それはなぜか。
・・・暇がないから。
小さい頃からサッカーや野球、テニスなどのスポーツ系の習い事やスポーツ少年団などに入ったり、
あとは物心付いた途端にゲーム漬け。
今どきプラモデル作りが趣味、なんて言ったら「キモ!」「ダサっ!」と一笑に付されてしまう。
大学に入るときになんとな~く工学系に進んでも、
それは受験科目や偏差値で選んだから。
ものつくり=愉快、ということが全くインプットされてないから、
お仕着せの勉強をこなして、単位を取って卒業できればいいや、みたいなことになってしまう。
そういう人たちが技術者としてメーカーに就職しても、
みんなをアッと言わせるような新しいものが作れないのは当然のことだろう。
 
日本は科学立国、技術立国の国なんだろう?
なぜスポーツ少年団はあっても、
ものつくり少年団や科学少年団がないのか。
まっさらな白い紙みたいな小さい子たちに
ものを作る楽しさ、科学の面白さを強力にインプットする場がないのはなぜなのか。
退職した技術者、理科の元教員、その他志ある大人が
そういう場を提供できたら、だんだん痩せてきたもの作りの土壌が、
また豊かになっていくのではないかと思う。
そういう形ででも、ものつくり=愉快、ということを覚えて大人になったなら、
創成期のソニーのような自由闊達で愉快なものつくりが出来る人が増えるのではないかと思った。