まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

今日はビル・エバンスの32回目の命日です。

1980年9月15日。
わたしにとって、忘れることの出来ない日付。
ビル・エバンスが亡くなった悲しい悲しい日。
 
うちにオカメインコの幼鳥がやって来たとき、
近所の動物病院へ連れて行った。
そこではビルさまの「不思議の国のアリス」が流れていたので、
わたしは獣医さんに
ビル・エバンスお好きなんですか?」と尋ねた。
すると、その獣医(ここから呼び捨てだ!)は、
「ああ、音楽は好きですよ。
人間としてみたら、エバンスはカスでしたがね。」
と抜かしたのだ!!!
わたしはそれを聞いた瞬間、全身の血が逆流するかと思ったぞ。
それ以来、そこの動物病院へは行かないことにしてるし、
前を通るたびに「カスはお前だ!」と心の中で呪うことにしている。
 
楽器は嘘をつかないんだよ。
どんなに口先で上手いことを言ってる人でも、
本当に心が優しくなかったら楽器から優しい音は出てこない。
ビル・エバンスのピアノの音は、映画「コリーナコリーナ」の中でそう言われてたように、
美しいカットを施されたクリスタルが、炎を映して複雑にきらめいているようだと思う。
優しい。でも軟弱ではない。
ときに激しい。でも決して理性は失わない。
ときに温かい。でもいつも寂しい。
 
ビル・エバンスの影響を受けたジャズ・ピアニストは文字通り星の数ほど(星より多く)いる。
ヴォイシングだって研究されつくしているし、完全コピー譜だって沢山ある。
でも、誰ひとりビル・エバンスのようにピアノを弾くことはできない。
なぜなら、エバンスはピアノを弾いていたわけではなかったから。
 
エバンスはピアノと話していたのだ。
ピアノと話すときだけエバンスは本当の自分を見せることが出来た。
嬉しさも、悲しさも、楽しさも、寂しさも、エバンスはピアノに話すことしかできなかった。
エバンスが言葉として語ったものを、誰も真の意味で理解することができなかったから。
エバンスは堅苦しく、陰気で、内向的で、人好きしない人物だと思われていた。
彼の心の中にどれほどの美しいものが内包されているのかを、
彼の話す言葉から感じ取れる者はほとんどいなかったから。
彼は誰にも分かってもらえない心のうちをピアノと話し続けていたのだ。
そう、親友のピアノと、死によって分かたれるその日まで。
 
嘘つき、エバンスのことなんて全然知らないくせに!って思われることでしょう。
でも・・・わたしも、ピアノとしか話せない人間なんです。
エバンスのようにピアノとの会話が「素晴らしい音楽」にはなりませんがね。
子供の頃から、喜怒哀楽の全てを、
楽器に話すことしか出来ず、
周囲からは人好きしない陰気な変わり者と思われてる人間なんです。
心の中にはいろんなものが詰まってるというのに。
だから、エバンスの演奏を聞くと、心が共振してしまうのです。
ヴォイシングがどうとかいうことではなくて、
心で感じる言葉を聞いてしまうのです。
 
9月15日はエバンスに敬意を表して、
1日エバンスのアルバムだけかける日と決めている。
今日はまず、"Undercurrent"から。
彼の魂が安らかならんことを。