まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

今日はビル・エバンス没後35年の記念日です。

1980年9月15日。
ビル・エバンスは51歳で亡くなりました。
長年に渡って乱用を続けた薬物によって
全身の臓器が致命的なダメージを受けて。
病院へ向かう車の中でエバンスは吐血し、
シートは血の海になったと言います。
そんな中、信号待ちしている車の中から
目の前の道を横切って行く美女を見たエバンスは、
「あんな美人を見てもなんとも思わなくなっちゃったよ」
とジョークを飛ばしたそうで。

薬物にあえぐエバンスのことを、
共依存」の関係に陥りながら見守りつづけた内縁の妻エレイン。
ガラスのような神経を持つエバンスのことを、
幼少期から優しく支え続けた実の兄ハリー。
エバンスの大切な人々は、
彼の死に先立つこと数年、
それぞれ「自死」という方法で亡くなりました。

何事かに秀でた人というものは、
まるで地球の姿そのもののように、
エベレストのように突出したものを持つ反面、
海溝のように大きく欠けたものも持っているものらしく。
非常に聡明で繊細な神経を持っていたエバンスは、
自身の鋭利なガラスのような感性が他人をひどく傷つけるという事実には、
あまりにも無頓着であったようです。
「無頓着」という言い方をするならば、
エバンスは自分自身の命についてさえ無頓着であったように思われます。

・・・きっとエバンスにとってこの世は、
あまりにも生きづらかったのだろうと思います。
若かった頃から、まるで仙人のような静謐さと聡明さを漂わせていたエバンスは、
意外なことに大の子ども好きであり動物好きでした。
エバンスのマネージャーだったヘレン・キーンは、
来日したエバンスが大勢のファンに大歓迎された際、
「まるで子どものように大喜びした。
エバンスにはそういう可愛らしい面があった」と回想しています。

「汚れっちまった悲しみに
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠(けだい)のうちに死を夢む」
そううたった日本の詩人とエバンスも同じ心持ちだったのでしょうか。
会った人が皆驚くほど背高く、
哲学者のような目をし、
詩人のように音楽を紡ぎ続けた男の心の中は、
実は永遠に少年のままだったのかも知れません・・・。