まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

島国と、地続きの国と

韓国が野田首相からの親書を送り返すことにしたらしい。
普通に考えたら無礼なことだし、国どうしではまず取らない行動だろう。
どうして韓国がそんなことをやるのか、わたしなりに考えてみた。
 
やっぱり「中国とロシアが味方に付きそうだ」というのは韓国にとって大きいだろう。
日本を仮想敵国とすると、中国、ロシア、韓国、北朝鮮が仲間になれる。
上手くすると台湾も。
反日で手を取り合うことが出来る仲間がいるから、韓国はあえて無礼と思えるようなことも出来るのだろう。
そして中国を敵に回すことの経済的損失を考えれば、アメリカも最終的には日本の側につかない、
と見ているのではないだろうか。
 
韓国や中国は文化的に日本のルーツになってる部分もあるし、日本人と見た目も似てるものだから、
つい自分たちと同じような考え方をする人たちだと思ってしまいがちだけれど・・・。
島国に住むものと、地続きの国に住むものとでは、自ずと根本的な考え方が違うように思う。
島国では「許そう、しかし忘れまい。」が基本。
閉ざされた島国の中ではいつまでも恨みを引きずっていては生きて行けなかった。
「起こった事は起こった事」として、水に流してしまわないと国中が怨恨の敵討ちでいっぱいになってしまうし、
逃げ出そうにも海が邪魔をして逃げることすらできなかったからだ。
それに対して地続きの国では「許すまい、忘れまい」が基本。
水に流して忘れてしまっていては、何度でも侵略者にやられてしまうからだ。
逃げようと思えば陸地はどこまでも続いていて、逃げ出すことだって出来たし。
先の大戦の際、日本軍は東南アジアの国々でも残虐なことをした。
でも、インドネシアの考え方は「許そう、しかし忘れまい」だ。
中国や韓国は「許すまい、忘れるまい」。
次の世代に怒りも憎しみも生々しい感情のまま、手渡ししようと教育している。
 
「許そう、しかし忘れまい」も「許すまい、忘れまい」も、
地理的・歴史的なものを背景に受け継がれてきた考え方で、それ自体に優劣をつけるものではない。
しかし、地球を宇宙に浮かぶ島国ととらえるならば、その中で怨恨をいつまでも引きずって憎しみ合うことが
どういう結末を招くかは自明の理であろう。
 
ネアンデルタール人はどうして滅んでしまったのか。
好戦的な現生人類に滅ぼされたから、という説もある。
少なくとも我々のご先祖は戦い、相手を虐殺して何種類もの人類の中で生き残った者たちだったのだ。
わたしたちは自分たちの中に流れるそのような「殺戮者の血」を意識しつつ、
100万年の歴史の中で培った理性(と信じたい)をフルに働かせて冷静に事を運ばなければならないと思う。