まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

80年代のアメリカに逆戻り

「お母さん、世界は一体どうなって行くのかなあ?」
朝ごはんを食べながら娘がぽつりと漏らした。

世界中を不安の渦に巻き込んでいる、
彼の国の新大統領についてのニュースを見た直後のことだった。

・・・あのね、みんな不安なんだよ。
でも、今一番不安なのは、もしかするとアメリカの良識ある人々かも知れない。
アメリカが営々と築いて来た国際的な信用とか地位とか言ったものを、
たった1週間でぶっ壊して嬉々としている彼の歪んだ笑顔を連日見せられて、
良識ある人々はさぞ心を痛めていることだろう(と信じたい)。

それにしても、彼の考え方とか物の見方だけでなく、
全てが「80年代のアメリカ人」なんだよね。
80年代のアメリカ人は、決してオバマみたいな人たちじゃなかった。
良識と言うよりは恫喝、気に入らないことがあると
噛み付かんばかりにして大声で怒鳴ったり。
でっかくて、赤ら顔で、すぐブチ切れる人たちというイメージだったように思う。
(現在目にするもので言うと、メジャーリーグの審判と監督のもめ事を
イメージすると分かりやすいかもしれない)。
肉を食べてビールをガブ飲みし、「ヘルシーさ」なんてクソ喰らえな食生活で、
ガソリンを垂れ流して走る大きい車を乗り回し、
「穏やか」とか「繊細」とか「控えめ」とか言ったものと対極にあったのが、
「80年代のアメリカ人」だったのだ。
そうやって自分たちの大きくて力が強くて強気な姿を見せつけていた相手は、
もちろんソ連だった。

ベルリンの壁が崩壊し、ソ連がロシアになり(ここら辺の順番はぐちゃぐちゃだ)、
大声で自分たちの強さを喧伝する必要がなくなって大分経ってからのアメリカ人が、
オバマ大統領みたいな人だったのだ。
いや、もしかしたらオバマ大統領みたいなタイプのアメリカ人は、
80年代のアメリカにもいたのだろう。
多分、「腰抜け」や「臆病者」呼ばわりされて相当肩身の狭い思いをしながら。

1990年に新婚旅行でアメリカの西海岸へ行った。
安いツアー旅行で自由時間がやたらと多かったため、
サンフランシスコやラスベガスの街を自由に歩いた。
そういう時にとても穏やかで親切に接してくれたのは、
アジア系の人々であり、アフリカ系の人々であった。
「ホテルまでのタクシー料金は〇〇ドルくらいだ。
お前さんたちが無事タクシーに乗るまで、
俺がここらから見ていてやるよ」
そんな風に言ってくれ、タクシーの窓から手を振ったわたしに
ウインクしてくれたアフリカ系のおじさんの笑顔を、
四半世紀以上経った今でも忘れないけれど。
「ああ、日本人は有色人種だから白人からは冷遇されるんだなあ」
とうっすらと感じた1週間でもあったのだ。

彼の人はアメリカを、
世界を相手に肩を怒らせていたあの頃に引き戻すつもりなんだろう。
アメリカ全体がパワフルで、騒々しくて、がさつで、下品だったあの頃に。
男たちがタバコをスパスパ吸い、ビールをがぶ飲みし、
女性のお尻を撫でながら下品なジョークを飛ばすのが「愉快なこと」
として許されていたあの頃に。
女性や有色人種や同性愛者や移民が公然と差別されていたあの頃に。
そして、そういう態度を咎める相手の横っ面を札束でひっぱたいていたあの頃に。
彼の人はさらに、敵対する勢力を武力で脅すことも厭わないことを公言している。
80年代の敵はロシアだったが、今度の敵は中国のようだ。
ビジネスの観点からすれば中国と手を結んだ方が得策なのだろうが、
「人種差別主義者」ゆえに、白人の国、ロシアを選んだのだろう。

彼の人が忘れている大切なことがある。
信用や信頼は失うのは一瞬でも、
取り戻すのには長い時間がかかると言うことと、
お金や武力でいうことを無理やり聞かせた相手は、
自分が後ろを向いた途端に好き勝手なことをすると言うことである。

娘よ。
母もとても不安だよ。