まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

中国人、韓国人、

韓国や中国について、国としてはあまりいいイメージを持っていないけれど、
わたしは韓国人や中国人について決して悪いイメージは持っていない。
 
わたしが通っていた大学にも中国からの留学生が来ていた。
時はバブル真っ盛りの1980年代。
日本人の学生は受験が終わったらもう勉強なんてごめんだとばかり、バイトにサークルにコンパ三昧、
授業は代返してもらい、ノートを借りて試験対策し、楽して単位が取れる教授の講義ばかりが満員だった。
そんな中、図書館ではいつも中国からの留学生たちが熱心に勉強していた。
教授の研究室にも出入りし、教授を質問責めにしつつ、一生懸命勉学に励んでいた。
バブルが弾けた後の日本の凋落ぶり、そして中国のものすごい繁栄ぶりを見るにつけ、
日本人は「ウサギとカメ」のウサギになってしまってたんだなあ、としょんぼりしてしまう。
手に入れた繁栄を守るために、わたしたち若い世代が一生懸命にならなければならなかったのに。
バブルに浮かれて遊び呆けて。
そうやって「ウサギ」がグーグー寝てる間に、「カメ」だと思ってた中国はむっくりと立ち上がって
ターボエンジンに点火、一気に坂を駆け上がっていたのだ。
 
韓国の人々に関して。
わたしは大学の頃二人の韓国の女の子たちの家庭教師をしていた。
その頃の韓国はまだ国内が結構不安定で、二人の女の子たちも「デモやってる日は(催涙)ガスで
目が痛くなったんだよ。北朝鮮はいい国だ、みたいなことが書いてある紙を拾ったら、
家に持って帰らないで先生に渡さなくちゃならないの。」などと言っていたっけ。
そういう不安定な韓国を離れ、日本でパチンコ屋やクラブなどを経営してる親戚を頼って、
二人は近くて遠い日本へやって来たのだった。
当時小学校5年だった上の子は、算数がよく出来てとても積極的な子だった。
学校で学芸会用に絵を描く仕事などを、いつも引き受けていた。
しかし、手伝ってくれる子はいなかった。
彼女が給食を分けると、「汚い」と言って食べない子が沢山いる、と言って泣いてたこともあった。
彼女の誕生日に、クラスの女の子全員に招待状を出したのに、結局一人も来てくれなかったこともあった。
全部全部、彼女が韓国人だったから。
しかも、彼女のおじいさんが歓楽街に何軒も店を持つ韓国人だったから。
小学校の運動会に招かれて行った事もあった。
彼女のおばあさんもお母さんも明け方の5時頃まで店で仕事をした後、
韓国の海苔巻きやら肉のおかずやら手作りの豪華なお弁当をこしらえて、
朝早くから場所取りをして子供たちを応援しに行っていた。
わたしが大学を卒業し、家庭教師を辞めた後彼女はグレてしまった。
無断外泊し、タバコを吸い、挙句の果てにはシンナーに手を出し・・・。
「ろくでなしの韓国人の孫らしいじゃないか。」と思う人もいただろう。
でも、違う。
彼女は仲間はずれされ続けることに耐えられなくなってしまったのだ。
不良仲間たちは金払いのいい彼女を仲間として扱ったから、引き寄せられてしまったのだ。
話をしている最中に男がバイクで迎えに来たとき、彼女のおばあさんはバイクの前に手を広げ仁王立ちして、
「あの子を連れて行くんだったら、まずわたしをひき殺してから行けえっ!!!」と叫んでいた。
彼女を真っ当な世界に引き戻そうと、いかにおばあさんやおかあさんたちが必死であったか。
日本のいわゆる「ヤンキー」のおばあちゃんやおかあさんたちと比べてみれば、
韓国の人たちの素晴らしい面がいろいろと見えてくるだろう。
 
だから、中国や韓国が国として日本に見せる姿勢や態度に、いつもがっかりする。
「お前の国は一体何をしたのか、忘れたのか!」と言われれば日本人は沈黙するしかないだろう。
でも、あと何年そんな関係を続ければ中国や韓国は満足するのだろう。
日本という国がなくなれば満足なのだろうか。
中国人や韓国人は嫌いではないけれど、そこからわたしたち日本人に向けられている
激しい怒りと憎悪の目を思うとき、わたしは思わずため息をついてしまうのである。